甲子園の風BACK NUMBER
「日本刀の上を歩く伝説はもう終わり」公立の古豪を甲子園に復活させた監督はいかに伝統を変えたのか「広島商の常識は当たり前じゃないんだ、って」
posted2026/10/13 06:06
今夏まで名門・広島商業を率いた荒谷忠勝監督。公立伝統校を指導する難しさとは
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph by
Sankei Shimbun
旧態依然とした指導もいまだないとはいえない高校野球の世界。選手たちとの新たな向き合い方が求められる令和の時代、甲子園に出場するような強豪校であっても監督たちは試行錯誤をつづけている。さまざまな年代の監督たちの考えを訊いた、『甲子園監督に学ぶ 10代の心を動かす教え方』(竹書房)から、今夏まで古豪・広島商業を指導した荒谷忠勝の指導論を抜粋・再構成してお届けします。〈全3回/専大松戸編・青藍泰斗編も公開中〉
昭和の高校野球を代表するような古豪、公立の商業高校は私立の強豪に押され続けている。
たとえば、大正、昭和、平成の3つの元号で全国優勝を飾った松山商業は2001(平成13)年の夏を最後に甲子園に立つことができていない。
1988(昭和63)年夏の甲子園で優勝した広島商業もまた、平成以降、長く苦戦を強いられ、2004年を最後に聖地から遠ざかっていた。
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2018年から2026年夏まで監督をつとめた荒谷忠勝は1976年8月、広島県生まれ。広島商業の外野手として、1994年春のセンバツに出場している。
松山大学卒業後の2000年から広島商業の商業科教諭となり、2004年夏の甲子園には野球部副部長として帯同している。
母校に復帰して試練のなかで監督就任
呉商業で11年間監督をつとめたあと、再び転任した広島商業で副部長に就任。しかし、2018年春に部内暴力が発覚したため、夏の大会直前まで対外試合禁止処分を受けた。
夏の広島大会で代理監督をつとめた荒谷が監督に就任したのはその秋。就任に際して、荒谷は「いいものは残し、変えるべきものは変える」という方針を掲げた。
呉商業の監督時代に習慣にさせていた「野球日誌」を選手に書かせた。1カ月単位での目標や課題、ルーティンチェック表、自己分析シートなどに細分化されたものだ。
チームとして目指すべき姿を言葉にし、選手たちに浸透させようとした。
荒谷はその意味についてこう語っている。

