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なぜ張本勲はプロ野球監督にならなかったのか? 「息子が死んでしまう」母は心配、「いずれ監督に」本人は前向き発言…ロッテと日本ハムがオファーしていた
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岡野誠Makoto Okano
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2026/10/03 11:03
日本プロ野球の最多安打数「3085本」の記録を持つ張本勲
土橋―張本コンビはチーム改革に成功し、来季への手応えも感じていた。
しかし、日拓は日本ハムへ身売りをしてしまう。新球団は三原脩を社長に迎え入れ、中西太が監督に就任。土橋はチームを離れ、張本は一選手に戻った。その後、打撃の職人は巨人、ロッテと渡り歩き、81年限りでの引退を決意した。
「サイドから野球を見たい」監督就任を固辞
「ロッテ・張本監督」の誕生は既定路線と思われたが、稀代の大打者は固辞した。10月31日の引退会見で、「23年間も働いて来たんだから、ワンクッション置きたい」「サイドから野球を見てみたいと思う。理由は視野が狭くなっているから、もう一度自分自身を見つめ直したいからです」と語った。
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大本命に断られ、ロッテの人選や交渉は難航した。候補には現役選手の有藤道世、OBの荒川博、野村克也、外部の土橋正幸、豊田泰光、近藤和彦など複数の名前が挙がったものの、色よい返事はなかなか得られなかった。
〈ロッテ監督に野村氏!? 4年越しの恋人〉(3日付/報知新聞)
〈有藤ロッテ監督内定 選手兼任、きょうオーナーに報告〉(6日付/サンケイスポーツ)
〈張本暗礁 一転 外部招へい ロッテ監督 土橋、荒川、豊田氏ら候補〉(12日付/デイリースポーツ)
〈ロッテの新監督 荒川氏指名 掌握力を高く評価 あす正式発表〉(13日付/報知新聞)
※全て81年11月
ロッテは水面下での交渉を進めながら、最終的に近鉄の打撃コーチである山本一義に白羽の矢を立てた。しかし、期待された新人監督は1年目5位、2年目には球団史上初の最下位に終わり、2年で解任されてしまう。
なぜ就任しなかったか?
もし張本が就任していたら、ロッテの歴史は変わっていただろう。落合博満、水上善雄、愛甲猛などを猛練習で鍛え上げ、「新ミサイル打線」を完成させ、黄金時代を築いたかもしれない。稀代の大打者はロッテから83年、89年オフにも監督を打診されるが、実現せず。日本ハムからの依頼も断ったという。頑なに固辞し続けた理由を、2つ述べている。
1つ目は選手、ヘッド、打撃コーチと「一人三役」を務めた日拓時代に起因する。広島から上京して一緒に暮らしていた母は、何事にものめり込む息子の性格を心配した。
