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なぜ張本勲はプロ野球監督にならなかったのか? 「息子が死んでしまう」母は心配、「いずれ監督に」本人は前向き発言…ロッテと日本ハムがオファーしていた
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岡野誠Makoto Okano
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2026/10/03 11:03
日本プロ野球の最多安打数「3085本」の記録を持つ張本勲
「テレビの張さんは作っていた面も…」
後年の『サンデーモーニング』(TBS系)での発言を聞いていると、自ら価値観を押し付ける頭の固い人のように感じるが、意外にもこんな言葉を残している。
〈選手はいろいろ個性が違いますから。色としたら黄色もおれば青もおるし、赤もおれば白もおる。色とりどりで初めていい野球ができるんでしょう。それを上から押しつけて、赤なり白一色にしようといったって、できるわけでないですよ〉(73年8月13日号/週刊ベースボール ※1)
70歳を超えた頃にも、張本は〈正しいバッティング理論はひとつしかないわけじゃない。人によって正しい技術は異なるし、それぞれの素質を生かす技術は異なる〉(13年10月発行『プロフェッショナル 勝者のための鉄則55』)と柔軟な姿勢を見せている。
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ロッテで現役最終年の張本とチームメイトだった愛甲猛はこう話す。
「テレビでは、あくまでエンターテイメントとして『喝!』『あっぱれ!』と叫んでいたのだと思います。作っていた面もあったんじゃないですか。今、いろんな技術に名称がついて、新しいように感じるけど、何十年も前から張さんが実践していたんですよね」
張本が現役引退するまで
新首脳陣の雰囲気作り、特訓の効果があったのか、日拓は躍進する。前期不振を極めた大杉は、6試合連続ホーマーを放つなど復活。だが、張本は徐々に調子を落とし、9月下旬から10月上旬にかけて25打席連続ノーヒットと極度の不振に陥った。
〈原因は体調の不十分さもあるが、それよりも練習不足がこたえている〉〈若手をコーチすることで自分のことなどかまっていられないから〉(73年10月10日付/朝日新聞)
一人三役は、あまりにも荷が重かった。最下位に沈んだ5年前、チームメイトから「個人記録を追いすぎる」と批判された男の思考は変わっていた。
〈いまの目標は、チームがAクラス入りすること。このためには首位打者といった個人的なことは捨てる〉(前掲紙)
張本の打率は前期.359から後期.290に下がり、阪急の加藤秀司に首位打者を譲った。一方、日拓は前期5位から後期3位に上昇。1シーズン制と単純な比較はできないものの、6年ぶりのAクラスを確保した。

