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「おまえは監督の息子だからや」明徳義塾・馬淵史郎監督の息子・馬淵烈が明かした苦悩の中学時代…“SSK”と揶揄され悔し涙も、父は「ふふふふふ」
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中村計Kei Nakamura
photograph byKei Nakamura
posted2026/09/23 17:01
現在、拓殖大野球部の監督を務める馬淵烈氏。少年時代は、父で明徳義塾野球部監督の史郎氏に「怒られた記憶がない」ほど優等生だったという
「悪さとか、しなかったんで。というか、できないじゃないですか。父親も母親も明徳の教職員なんで、問題起こしたら、ね? 顔を潰すじゃないけど」
史郎も、こう笑う。
「俺なんか、ほんま、手のかかる子どもやったからな。今も小学5年生がそのまま大きくなったような感じやなって思うときがある。なのに、息子も娘も、ぜんぜん手がかからんかった。なんでやろ。不思議やな」
「牛の放し飼い」のような幼少期
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子どもの部分を残しているのは史郎の魅力でもある。一度、こんなシーンを見かけたことがある。
夏のある日、練習グラウンドのベンチの壁に決まったばかりの高知大会のトーナメント表が貼り付けてあった。すると、史郎は「おっ」と小さな声を上げ、口元を緩めたかと思うと、明徳義塾の山を下から赤ペンでなぞり、頂点まで一気に赤い線を走り込ませたのだ。その様子は少年そのものだった。
史郎は愛媛県の離島、大島で中学2年まで過ごした。母のアキが「大自然の中、日が暮れるまで好き放題。言葉は悪いけど、牛の放し飼いみたいなもので」と笑っていたように、よくも悪くも奔放で、何かによって矯正された跡をほとんど感じさせない人物である。
それだけに烈の第一印象は衝撃的でもあった。烈は父親とは正反対に、枠の中で整然と育てられた模範的な高校生に感じられたからだ。
関係者が口々に「烈は、ええ子ぞ」と口にしていたものだが、その言葉の中には、枠など微塵も感じさせない父親とのコントラストに対する驚きが込められているように思えた。父親とはぜんぜん違うぞ、と。

