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「奇跡というか」余命3カ月のはずが2軍戦に登板したホークス中継ぎエース…「いつもと変わらず、藤井さんに甘えていた」斉藤和巳の“違和感”
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKoji Asakura
posted2026/08/31 11:03
本人は病名を知らされていなかったとはいえ、余命3カ月と言われるなかで2軍戦で登板するまで回復した藤井将雄の精神力は、奇跡とも呼べるものだった
「なんでこんなに一生懸命できるんやろ」
そんな厳しい状況下でも、藤井は誰よりも汗を流し、グラウンドで大声を張り上げ、たゆみなき努力を重ねていた。斉藤は、常にその背中を追い続けた。
「野球だけじゃないですね。藤井さんの影響は結構受けたというか、なんでこんなに、毎日一生懸命できるんやろ、って思ったんです。すべてが全力、なんでこんなにまでできるんやろと思ったんです」
入退院を繰り返しながらも、藤井は雁の巣で練習を続けていた。全力で走り、投げ続けている兄貴分の、その日々の姿から“死”を連想できることなど、あるはずもない。
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「僕が若かったというのもあって、そこまでピンと来ていないというのが、もちろんありました。今、振り返ったら、入退院を繰り返すって、そんな軽いもんじゃないですよね。それでもそういう認識がなくて、結構、普通に接させてもらっていたんです。だから、2000年は今まで以上に、馴染みのお店に一緒に食事に行ったんです」
9月に入って、藤井は再入院を余儀なくされていた。
その時、斉藤は1軍の先発ローテーションに定着しつつあった。6月にプロ初先発で初勝利。尾花は斉藤を一目見て「俺は、和巳をエースにできなかったら、指導者失格やなと思った」という素質の高さが、じわりと芽吹き始めた頃だった。
病室で交わした言葉
リーグ連覇へ向けての戦いは最終章。優勝へのマジックが「1」となった状態で、10月5日のロッテ戦に、斉藤が先発することになった。
4日は福岡ドームでの試合だった。だからチームより一足先に、先発予定の斉藤は千葉へ前乗りすることになった。そこで「お見舞いに行ってから移動しようと思って」と斉藤は藤井が入院する国立病院九州医療センターへ足を運ぶことにした。
「藤井さん、和巳です。お疲れ様です」
病室に入ると、藤井は食事の際に胸のあたりに置くテーブルの上に体をもたせかけ、斉藤が入って来た逆側、窓側の方に顔を向けていた。

