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「奇跡というか」余命3カ月のはずが2軍戦に登板したホークス中継ぎエース…「いつもと変わらず、藤井さんに甘えていた」斉藤和巳の“違和感”
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKoji Asakura
posted2026/08/31 11:03
本人は病名を知らされていなかったとはいえ、余命3カ月と言われるなかで2軍戦で登板するまで回復した藤井将雄の精神力は、奇跡とも呼べるものだった
尾花高夫も、球団のトレーナーから「厳しい状態です」と聞かされていたという。
「でも、本人は頑張って治そうとしていたからな」
投げた、と聞いた尾花は、藤井に「1軍へ上がって来い」と告げている。
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「2軍で結果を残して、万全の態勢で上がります」
その“藤井の決意”が実る日は、無念にも、とうとう訪れなかった。
斉藤和巳の記憶
入退院を繰り返すことになる2000年、藤井が馴染みの小料理屋で夕食を取る際にはしょっちゅう誘い出し、店主のご夫婦から「将雄がこんなに後輩を連れて来るって、なかなかないよ」と言われるほどに、公私ともに付き合いを深めていたのが、当時5年目、2000年にはプロ初勝利を含む5勝を挙げ、飛躍のきっかけを掴んだ斉藤和巳(現・ソフトバンク2軍監督)だった。
「藤井さんのことを語る、って、なかなかなかったなあ……」
そう前置きしながら、斉藤は、慕い続けた“兄”の思い出を、静かに語り始めた。
記憶が、そこだけは定かではないという斉藤だが、藤井と親しくなったきっかけは「2年目の黒潮リーグか、3年目の春のキャンプ。藤井さんと同部屋になったんです」。
黒潮リーグとは当時、各球団の若手選手で編成されたチームが秋の高知に集まり、リーグ戦を行ういわば若手の登竜門。当時の斉藤は高卒でプロ入りした20歳、藤井は社会人出身で29歳。9歳も違えば、社会経験も人生経験も、生まれ育った世代も違う。ジェネレーションギャップすら起こりかねない弟分に、藤井は目をかけてくれたという。
「藤井さんは、気を遣わせない人でした。他の先輩とも同部屋になったことはありますけど、2軍でも一緒にプレーして、藤井さんという人も分かって、僕という人間も分かってくれていた。まあ、あと、僕が若かったから、そんなに気を遣うほどの人間性もなかったっていうのも、もちろんあるけど、そんなに気を遣う感じもなかったんです」
斉藤はプロ3年目の1998年、右肩の手術を受けている。斉藤がリハビリという名の、単調で先の見えづらい日々を過ごしていた一方、脱税問題に関わったことで、1998年には開幕から3週間の出場停止処分を受けるなど、藤井も失意と反省の日々を過ごしていた。

