甲子園の風BACK NUMBER
「ダイエーが2位指名と報道も」甲子園優勝投手は社会人野球を選んだ…「本当にこれでいいのか」34年前の葛藤「プロに入ったら、どうだったんですかね」
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byJIJI PRESS
posted2026/08/19 11:42
2024年6月21日、ソフトバンク対ロッテで始球式を務める森尾和貴。甲子園優勝後には地元のダイエーがドラフト指名するという報道もあった
数ある大学のなかから慶應大を志望する。しかし桜は咲かなかった。過去に作新学院の江川卓が不合格となったのと同様に、森尾も入学は叶わなかった。
「実際に入ったら、どうだったんですかね」
夏の甲子園優勝投手の進路がここまで二転三転するのは異例のことだった。結果的に森尾は、社会人の新日本製鐵八幡に進むことになる。
「心のどこかに本当にこれでいいのか、プロへの道を選びたい気持ちがあるのに、大学でいいのかという迷いがありました。正直、最初は進学する選択肢がなかったので、“よし、大学でやるぞ”という強い覚悟はなかった。だから大学行きがなくなっても、そこまで落胆する気持ちもなかったですね。もし本当に大学に行きたかったら、どこかには行けたはずですから」
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チームメイトの中村壽博(現・日本文理大監督)の進路が早稲田大、レフトの高原典一(現・西日本短大附コーチ)が明治大に決まり、「六大学で対戦しような」と話をしたこともあった。だが、森尾はずっとモヤモヤを抱えたままだった。
「今思えば、大学野球を経験すべきだったとか、プロの世界を経験したかったというのは当然あります。メディアではダイエー(現ソフトバンク)が2位指名と報道されていましたし、その世界に進むこともできた。それでも……結果的に自分の考え方は間違っていなかったと思うんです」
プロに入らなかったことに後悔はないと話していた森尾の毅然とした表情が、ほんの少しだけ揺らいだ。甲子園優勝で手にした「プロに進める権利」を行使してみたかった気持ちが、まったくないわけではない。決断が間違っていなくても、当時の気持ちに嘘はつけない。34年経った今も、プロ野球で自分自身の力を試してみたかったという思いは、森尾の中でなお燻っていた。
スポーツの世界で“たられば”はご法度かもしれないが、アスリートである前に人間だ。なにもかも納得づくで、理路整然と決断を下すことはできない。ましてや18歳という年齢で、人生を左右するほどの選択肢であれば、迷いが生じるのは当然のことだ。
「権利は得たけど、実際には行っていないですし……。実際に入ったら、どうだったんですかね」
五十路を超えた森尾が、ほんの一瞬だけ18歳に戻っていた。
<続く>

