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「野球は続けないつもりでした」全校生徒は約80人…青森の小規模校「たったひとりの野球部員」が目指した“140キロの夢”半年で「球速16キロ増」のナゾを追う 

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二瓶祐綺

二瓶祐綺Yuki Nihei

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photograph by野辺地高校野球部提供

posted2026/08/14 17:01

「野球は続けないつもりでした」全校生徒は約80人…青森の小規模校「たったひとりの野球部員」が目指した“140キロの夢”半年で「球速16キロ増」のナゾを追う<Number Web> photograph by 野辺地高校野球部提供

青森の小さな町にある野辺地高校野球部の「たったひとりの部員」である松舘侑希。厳しい環境にもかかわらず高校トップクラスの140キロを目指した

 前述のように松舘が高校に入学した当時、野球部は3年生の部員が1人だけ在籍していただけだった。当然、部員数の多い高校のように実戦形式の全体練習などすることは難しい。

 一方で、その状況は松舘から見れば、かえって自分のための練習に多くの時間を割くことができるように感じられた。自由に、自分のペースで練習ができる環境を目の当たりにしたことで、松舘に野球への情熱が戻ってきたという。

 しかも当時から野辺地高校は近隣校との連合チームに参加していたため、入部直後の1年生だった松舘にも試合に出られるチャンスが高かった。単一チームで試合を組めないからこそ、試合に出られる可能性が高まるというのは、少子化の進む現代らしい話ではある。

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 中学時代はなかなか出場機会に恵まれなかった中で、高校では「試合に出たい」という思いが野球を頑張る理由へと繋がった。結果として1年時の夏大会で、松舘は9番センターでスタメン出場を果たしている。

 ただ、当然ながら当時の松舘にあったのは「楽しくやれればいい」という思いだけだった。

 中学時代は控えの選手が、わずか部員2名の野球部にたまたま入ったのだ。連合チームでなんとか試合に出場できたとはいえ、「上を目指そう」という考えになど、なろうはずもない。

「楽しくやれれば」のハズが…松舘に訪れた“転機”

 そんな松舘に転機が訪れたのは、高校2年生になった頃だった。

 1年生の秋からは投手に挑戦していたこともあり、2年生になってからは兄・拓斗さんと自宅でトレーニングをするようになった。するとトレーニングを始めてからわずか2週間で、元々最速でも119キロだった球速が一気に8キロ上がり127キロを記録。球速はそのままグングン伸び続け、夏には135キロを計測するまでになっていた。

 兄の拓斗さんは青森県の強豪、青森山田高校出身。現役を引退した現在はトレーナーとして活動している。拓斗さんからの指導を受けたことで、「それまで上手く使えていなかった胸郭の動きなど、胸周りが強化されたことで球速が向上した」と松舘は振り返る。

【次ページ】 “僻地のひとり部員”が130キロ超…小さな話題に

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