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ツバメのさえずり日誌BACK NUMBER
「このままじゃいけない」群馬県勢初の甲子園優勝→日本ハムドラ1左腕の苦悩…阪神へ電撃トレード、戦力外通告の先に待っていた「信じられないドラマ」
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph byJIJI PRESS
posted2026/08/12 11:04
桐生第一高校のエースとして群馬県勢初の甲子園制覇に導いた
そこからは表彰続きの毎日。県勢の初優勝ということで、学校には時の宰相で群馬県出身の小渕恵三から祝福の電話があったほど。正田の野球人生は、一変した。
1999年秋のドラフト会議では、日本ハムから1巡目指名を受けた。甲子園制覇からドラ1入団、ルーキーながら本社商品のCMにも起用されるほどの期待を受け、順風満帆のプロ野球人生が始まった。しかし――。実際には18歳の左腕は苦しい時間を過ごしていた。
甲子園V腕→ドラ1の重圧…
「思うようにいかないことが多かったです。ペースも分からないままキャンプから張り切ってしまって、オーバーワークになってしまったことも。手術するようなレベルではなかったのですが、怪我というか疲労というか、コンディション不良で投げられない時期もあった。1年目、2年目は振り返ってもちょっときつい時間を過ごしました」
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高校時代からエースとして投げ続けてきた“勤続疲労”もあっただろう。思うように投げられない時間と、プロの壁に悩みながらも、左腕は少しずつ歩みを進めた。
プロ3年目の2002年、転機が訪れた。先発登板の機会を得た5月3日の福岡ダイエーホークス(当時)戦で9回1失点に抑え、プロ初勝利を完投で飾った。そこから、先発ローテーションに定着し、同年は23試合に登板し9勝11敗。日本ハムの投手としては1980年の木田勇以来となるパ・リーグの新人王を獲得した。
「春先にチャンスをもらって、そこから最後までチームにいられた。プロとして少し掴みかけたものがありましたし、やはり一軍のマウンドで投げられるということは嬉しかったですね」
開幕前の電撃トレード
4年目の2003年は26試合に登板。2004、2005年も先発として奮闘したが、左肩痛や、背筋や腰の痛みにも悩まされた。なんとか痛みが出にくい投球フォームに変えようと試行錯誤を繰り返したが、その中でピッチングは安定感を欠いていった。2006年は一軍登板なしに終わり、苦しい日々が続いた。


