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江川卓対小林繁は「1年目なら違う結果だった」若菜嘉晴が思い起こす“因縁の対決”と阪神での成長「江本孟紀さんはノーサインで投げてきて…」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byKYODO
posted2026/08/17 11:02
阪神に移籍して江本孟紀(右)らベテラン投手の球を受け、若菜嘉晴(左)は大きく成長した。そんな若菜が見た小林繁と江川卓の直接対決とは
「江本さんが投げる『エモボール』はカーブの変形ですね。高いところから大きく落ちる。バッターは打ちにくいし、キャッチャーは捕りにくい」
1979年に江本は12勝を挙げ、通算勝利数を101まで伸ばした。
バッテリー間でノーサイン、次にどんな球が来るのかわからない状況で試合を進めることができたのは、前の球団での経験があったからだ。
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「(ライオンズで)エースの東尾修さんは、シュート以外は勝手に投げていました。あのシュートだけは別格で、なかなか捕れない。でも、ストレートは140キロくらい、ほかの変化球もそれほどではない。そういう経験が阪神で生きたと思います」
ベテラン投手たちに鍛えられた
阪神で年上のベテラン投手と組むことで、引き出しも増えていった。
「年下は工藤一彦、伊藤宏光くらいで、ほかは大先輩ばかりでした。安仁屋宗八さん、山本和行さん、上田次朗さん、江本さん。みなさん、個性的でひと癖もふた癖もある人たちでした」
彼らに寄り添いながら、リードも覚えていった。
「こっちがサインを出しても、その通りに投げてくれることは少ない。やりにくかったのは事実ですね」
まだ若手の頃、リードに悩んだ若菜は野村克也に相談したことがある。
「オールスターゲームで一緒になった時に『リードを教えてください』とお願いしたら、『おまえが30歳になったらわかるようになる』と言われました。その時は『どういうことだろう』と思ったけど、30を過ぎてから実感しましたね。
その頃になれば、自分に実績もあったし、年上のピッチャーも少なくなっていました。だからこちらの言うことも聞いてくれるようになりました。大事なのは経験と実績、信頼ですね」
セ・リーグとパ・リーグとの交流戦などなかった時代。FA制度が導入されるまでは、両リーグの野球のスタイルには大きな違いがあった。それなのに、移籍1年目の若菜はなぜ打率3割をマークできたのか。

