博多の人・王貞治BACK NUMBER
「もし優勝できなければ、パ・リーグは終わりだった」1999年王貞治ダイエーがつかんだ“ラストチャンス”の意味「もう1リーグ制やろな、と」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKYODO
posted2026/08/07 06:02
ダイエー11年目にしてついに初優勝。だがもしも王がこのチャンスをつかんでいなければ……
本当に強烈で特別な優勝
「みんなが待ち望んだ優勝だったと思うんですね。そこに立ち会えたというのは、僕の野球人生のキャリアの中で、ホントに、今でも『トップ3』くらいに入ります。自分がやってきた中での、あの優勝というのは特別なものになりましたし、本当に強烈でした」
後に城島は、2006年から4年間、シアトル・マリナーズでプレー。日本人捕手として初のメジャーリーガーとなった。2009年の第2回WBCでは、日本代表の4番打者、さらに正捕手として、2大会連続の世界一にも導いている。2003年にはリーグMVP。ベストナイン6度、ゴールデングラブ賞は1999年からの7年連続、阪神時代の2010年を含めて8度獲得。
その幾多の栄光を球史に刻んできた名捕手は、1999年の「初優勝」を「そういうのより、全然、思い入れがあります」とまで言い切る。
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両手を大きく広げた王が、4度、宙を舞った。
セ、パ、両リーグの球団で「優勝監督」になったのは、三原修(巨人、西鉄、大洋)、水原茂(巨人、東映)、広岡達朗(ヤクルト、西武)、野村克也(南海、ヤクルト)に続き、史上5人目という快挙でもあった。
やっと、ここまで来た
あの時の思いを、改めて王に聞いてみた。
「うれしい、っていうよりも、何て言うのかな。やっと、こう、ここまで来たかな、という感じだったよね」
その歓喜の輪がよく見えるように、とばかりに、スタッフの手で高々と掲げられていた1枚の額は、監督時代のユニホーム姿の根本陸夫の「遺影」だった。
雌伏の5年。最初の3年間はBクラス。球団の一部では、王を代えよう、根本も代えようという、きな臭い動きもあったことは事実だ。脱税事件、スパイ疑惑と、チームに降りかかって来た雑音もすべて撥ね退け「5年契約なんだから、5年はやってもらうんだよ」と常に王の“盾”となっていたのは、根本だった。
その“ラストチャンス”につかんだ「優勝」だった。だから、仮に優勝を逃していたら王は恐らく、退任を余儀なくされていただろう。

