博多の人・王貞治BACK NUMBER
「もし優勝できなければ、パ・リーグは終わりだった」1999年王貞治ダイエーがつかんだ“ラストチャンス”の意味「もう1リーグ制やろな、と」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKYODO
posted2026/08/07 06:02
ダイエー11年目にしてついに初優勝。だがもしも王がこのチャンスをつかんでいなければ……
「すごくいっぱいの人が、いつも出迎えてくれたんです。罵倒とかじゃないですよ。『頑張れ』『絶対優勝できるぞ』って、僕らを励ましてくれた。そのファンが、だんだんだんだんと多くなっていくわけですよ、空港でも、駅でも。あの感覚ってなかったですよ」
マジック「20」点灯から数えて17試合目、シーズンの129試合目。
9月25日の日本ハム戦は、デーゲームで西武が敗れ、優勝マジック「1」として臨んだナイターだった。勝てば、本拠地・福岡ドームでの胴上げとなる。同点の8回に井口資仁が勝ち越し弾。5-4として9回に突入すると、セットアッパーの篠原貴行が1死を取った後、守護神ロドニー・ペドラザが登場。2死無走者とすると、続く代打の藤島誠剛を、カウント1ボール2ストライクに追い込んだ。
城島の記憶に残る「笑顔」
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あと1球——。城島の“涙の記憶”は、その時の「王の笑顔」と結びついている。
グラウンドから見ると、一塁側ベンチの右端。控え選手の名前が記されたホワイトボード前の定位置に立っていた王が、少し上目遣いに、バックスクリーン方向に目を向けた。
手塩にかけて育ててきた選手たちが、歓喜の瞬間を迎える。指揮官としての充実感が、その穏やかな笑みに満ちていた。
「最後の1球を捕るとき、優勝するときですよ。パッとベンチを見たら、めっちゃ笑っていたんですよ、監督が、ニコッてね。王さんって、勝てないときって、眉間にしわが寄って……みたいな、そういう表現ばかりだったじゃないですか。その王さんが、最後の1球のとき、ニコッて笑っていたんです。僕、その瞬間にもう、涙が……。なんか分からんけど、涙がズワーッて出てきて……。サイン出して、三振だったんですけど、よう最後、捕ったなというくらい、目の前、かすんでいたんですよ。ホントに号泣していたんです」
1999年9月25日、福岡ダイエーホークス初優勝。
前身の南海から球団を買収してから11年、王貞治の監督5年目、王の監督就任直後の1994年ドラフト会議で1位指名された城島にも、待ちに待った“初の歓喜”だった。

