博多の人・王貞治BACK NUMBER
「僕を4番から外してください」ホークス小久保裕紀“選手人生最大の危機”に王貞治は何と答えたか…「あれで逃げていたら、次も逃げていた」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2026/08/07 06:00
1999年、初優勝に向けて突き進む王ダイエーでひとり大不振に陥っていた小久保裕紀に王がかけた言葉とは?
「僕は、あんまりしんどい経験はしていないんだよね」
恐らく、謙遜もあるだろう。ただ、王が引き合いに出した経験談は1975年、そこまで13年連続で獲得してきた本塁打王のタイトルを、阪神・田淵幸一に奪われたときの思いだった。
「初めて、田淵君にホームラン王で負けちゃってね。でも、負けた時も、俺、負けたのは自分が悪いんだから、って受け止めたんだよ。自分は、普通にやっていれば負けるはずはないんだと。だから次の年、また次の年と、ホームラン王に返り咲いたからね。だからやっぱり、自分が強く、自信を持って、ガンガンガンガンとやれるような状態にいるときは、絶対に自分自身、仕事はできるんだ、っていうので、ずっとやってきたんだよ」
悔しさを奮起に変える
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王は、1974年に2年連続の三冠王。ところが、川上哲治から長嶋茂雄に監督が代わった1975年、オープン戦での走塁中に左太ももを肉離れ。4月5日の開幕戦はスタメンから外れてのベンチスタートと、その出遅れも響いて33本塁打にとどまり、本塁打王を田淵に奪われていたのだ。
再起を期した翌1976年、49本塁打と123打点で二冠王。通算12度目の40本台は、ベーブ・ルースの11度を上回った。10月11日には通算715本塁打を放ち、ベーブ・ルースの本塁打通算記録を抜いた。さらに1977年9月3日、ハンク・アーロンの755本塁打を上回る756本塁打で世界記録を更新。この年は自身3度目となる50本台の大台に到達して、15度目の本塁打王を獲得している。
悔しさや怒りを、自らに振り向け、奮起の源へと変える。
それは、ダイエー監督2年目の1996年、不甲斐ないチームの成績に激怒したファンから、チームのバスに生卵が投げつけられた時に「卵を投げさせる自分たちが悪いんだ」と、ファンへ怒るのではなく、自らを責めた時の姿勢と変わらない。
「やっぱり余分なことは、とにかく、なるべく外してやって、選手に気楽にやらせてあげたいんですよ。勝ち負けの責任は選手じゃない、監督の責任だから」
その“王イズム”を、小久保は自らが、かつての王と同じ立場、1軍の将として、日々の勝利を追求する立場に立った今だからこそ、よけいに痛感するのだという。

