サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
鎌田大地が「彼がアーセナルなら、僕はマンUに…」日本代表の司令塔が勝てなかった“四国の天才”とは何者だった? 本人が語った「ライバルとの軌跡」
text by

別府響Hibiki Beppu
photograph byFC TIAMO
posted2026/08/03 11:00
小学生時代にはW杯代表である鎌田大地を何度も破った清川流石。将来を嘱望された“愛媛の天才少年”のその後とは?
「小学校時代の大地とは、大きな大会では2回対戦しているのかな。結果だけ言えば、どっちも僕のチームが勝てました。愛媛の中の強豪チームのエースとして、ずっと僕と大地が比べられていたのは僕自身も分かっていて。地域のトレセンでもずっと一緒だったんで、意識はしていましたね」
有り体に言えば、四国という小さな島に生まれた2人の天才少年――。フィクションの世界であれば、きっとその後も2人の物語は続いていったのだろう。だがその後、彼らの運命が交錯することは結局、なかった。
清川は今、イギリスから9500km離れた日本のJFLに所属するFCティアモ枚方でサッカーを続けている。
ADVERTISEMENT
◆
清川はいつサッカーに触れはじめたのか、正確な頃を覚えていない。ただ、少なくとも小学校に上がる頃にはボールを蹴っていたという。
「本格的にサッカーを始めたのは通っていた久枝小学校というところのチームです。普通の小学校の割にすごく強くて、4年生の時に県の大きなカップ戦で優勝して、県で一番になったんです。しかも結構圧倒的に優勝できて、自分も得点王と最優秀選手になることができて。その頃から『プロのサッカー選手になりたい』という想いを持った気がします」
10歳で地元・松山の強豪クラブチームへ
プロになるという夢が朧気ながら形を成したことで、10歳にしてうっすらと未来図も描けた。愛媛には強豪チームとして、実業団の帝人サッカー部に端を発した帝人SSがあった。帝人SSには中学校のクラブチームもあり、一貫指導のメリットもある。そこで父親の薦めもあり、4年生から清川は帝人SSへと加入した。
「もともと県内で一番強い小学校チームにいたので、クラブチームに行ってもそんなにギャップとかはなかったです。スピードとゴールに向かう姿勢にはずっと自信を持っていて、小学校時代は結局、ほとんど負けなかったような気がします」
実際に上述のように小学校最後の6年生の全日本少年サッカー大会の全国大会にも清川を中心とした帝人SSが出場している。
一方で、こうして結果を残し続けたことで中学進学の際には新たな選択肢が現れた。

