サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
鎌田大地が「彼がアーセナルなら、僕はマンUに…」日本代表の司令塔が勝てなかった“四国の天才”とは何者だった? 本人が語った「ライバルとの軌跡」
text by

別府響Hibiki Beppu
photograph byFC TIAMO
posted2026/08/03 11:00
小学生時代にはW杯代表である鎌田大地を何度も破った清川流石。将来を嘱望された“愛媛の天才少年”のその後とは?
「僕自身は、最初はそのまま帝人の中学チームに上がろうと思っていたんです。でも、地元にJリーグクラブである愛媛FCがあって、そこのジュニアユースに入って、そのままユース→トップに上がるというのが県内でプロを目指す選手が誰もが目指すルートになっていたんですよね。
そんな中で愛媛FCからジュニアユースのセレクションに呼んでいただいて。県内の各チームの主力選手も受けに行くというので、実際に行ったら知り合いの選手とかがみんな『愛媛FCに行く』というのを聞いて。最初は行く気はなかったんですけど、『じゃあ僕も行きたいな』となって」
地域の有力な選手が集まるのであれば、そこが最もレベルが高くなるのは自明の理だ。プロを目指すのであれば、当然そこに居ることでプラスが得られることは清川も分かっていた。
中学からはJチームのジュニアユースへ加入
ADVERTISEMENT
「6年生の地域トレセンとかでも『みんなで愛媛FCに入ろう』みたいな話はしていて。それこそ大地のチームの選手もセレクションに来ていたし、大地本人とも『愛媛FCに行こうぜ』という話もしていたんですよね。
当時はJFAアカデミー福島ができた頃で、大地は『そこのセレクションを受けに行く』みたいなことを話していたのは覚えています。結果が不合格なのを聞いて、大地も愛媛FCに入るんだろうと思っていたので『じゃあ一緒に愛媛FCに入ろう』と誘ったような気はします」
こうして清川は愛媛FCのジュニアユースへの加入を決めた。
ただ、清川にとって意外だったのは、結局鎌田が四国を出てガンバ大阪のジュニアユースへと進んだことだった。当時J2に加盟して数年の愛媛FCとJ1で長らく戦っていたガンバ大阪とでは、育成年代のノウハウに大きな差があったのは事実だっただろう。鎌田の選択はその意味で至極真っ当なものでもあった。
「寂しかったこともあって、『いや、お前ガンバ行くんかい!』みたいに言った記憶はありますね(笑)。ただ、当時の自分には四国の外に出ようという選択肢がそもそもなかった。逆に言うと四国の外のことはわかっていなかったので、ガンバに行ったからめちゃくちゃスゴい、差がついた……とかは全然、思わなかったです。スマホもまだ持っていない時代ですし、連絡を取ることもなかったですけど、それぞれの選択肢で頑張ろうと考えていました」
ジュニアユース時代の清川は、一言で言えば「順風満帆」だった。
「中学時代はずっと『自分が一番上手い』と思ってプレーできていたと思います。1年生から上級生相手にもガンガン仕掛けていきましたし」
また、その後の糧となる「壁」にもぶつかることができたという。

