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「箒とチリトリは日本から持参」世界を驚かせた森保ジャパンの“美ロッカー”知られざる舞台裏…“発案者”は「27年前に姿を消した」あのチームの2人
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久保武司Takeshi Kubo
photograph byJIJI PRESS
posted2026/07/01 17:00
サッカー日本代表用具係の山根威信さん(左)と麻生英雄さん
同じ病院で生まれた…驚きの縁
それでもロッカー清掃が、2人を中心としてサッカー日本代表のひとつのルーティンとして定着したことは間違いない。W杯の出場を重ねるごとに増えていったチームが現地に持ち込む荷物はトランクにすると300個を超える。総重量は実に4トン近く。その中で、2人が必ず大会に持ち込むものがある。まさに日本的な掃除用具である「箒」と「ちりとり」だ。
「日本以外の国に行くとこの2つがないことがある。欠かすことができないもののひとつですね」(麻生さん)
2人には不思議な「縁」がある。ともに神奈川県出身で高校の同級生。生まれた病院が同じで、誕生日も2日違いなのだ。五十路を迎えた今でも、その身長体重はほぼ同じで風貌まで瓜二つ。2006年ドイツ大会を指揮した日本代表のジーコ監督は、「初めて彼ら2人に会ったときは、絶対に兄弟だと思った」と口にしたほどだ。
求人誌で見つけた「ホペイロ」の仕事
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その「縁」をより太い「絆」にしたのが1992年にスタートした横浜フリューゲルスである。社会現象にもなったJリーグブームの頃、麻生さんは大学受験にむけて浪人中だった。コンビニで立ち読みした求人誌でフリューゲルスのスタッフ募集の求人を見つけたのだという。
「面白そうだなという思いだけでした。高校時代はバドミントン部。僕はサッカーとは全く無縁でした」
待っていた仕事はチームの用具係(ホペイロ)だった。完全な裏方である。
「何も知らない、わからないという状況でただ目の前のことをこなしている、そんな感じでした」
それでも見ている人は必ずいる。当時のフリューゲルス幹部はこう振り返る。
「麻生くんは全くのサッカー素人でした。そんな彼が評価されたのは年間2000万円近くになっていたユニホームの洗濯などのチーム経費を大幅に削減したことでした。すべて業者に発注していた洗濯類を自分で洗えるものは手洗いにしたのは彼です」
忘れられないフリューゲルス消滅
当時の日本代表監督は、かつてフリューゲルスを指揮していた加茂周氏(86歳)だった。
「代表チームにフリューゲルスから元気のある若手スタッフを貸してほしいと言われて、いの一番に麻生くんを推薦しました」(同元幹部)
代わってフリューゲルスの用具係の後任を引き受けたのが、山根さんだった。高校時代にサッカーをしていたこともあり、麻生さんからの推薦でチームのスタッフに加わった。


