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上田綺世「じつはプロに認められなかった」18歳の挫折…ユース昇格も逃した男、法政大で異変「上田が書いた“ノートの内容”」日本代表エースになるまで
posted2026/06/23 06:02
チュニジア戦で2ゴール、1アシストの活躍を見せた上田綺世。10年前の挫折とは
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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JMPA
「モノが違う」――法政大学サッカー部の監督として上田綺世を指導した長山一也は、初めて彼を見た瞬間のことをそう表現した。2016年の初夏、練習試合で繰り出したヘディングシュート。「いままさにフェイエノールトや日本代表で見せてくれているような、打点の高い一撃でした」。即決だったという。
だが、その輝きに至るまでには、15歳、18歳に訪れた2度の挫折があった。上田は鹿島アントラーズの育成組織でプレーしながら、ユース昇格を果たせずに鹿島学園高校へ。さらに、高校卒業後すぐにはプロに進めず法政大へ進んだ。
なぜ大学で伸びた? 恩師の意見
法政大入学当初から長山が注目したのは、身体の仕組みそのものだった。「軸が強くてボディバランスに優れていて、無理が利く。シュートの威力がすごい。本当に外国人選手のようで、打った瞬間にもう入っているようなパンチ力がある」。
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1年生の夏には総理大臣杯の決勝でゴールを決め、チームを35年ぶりの頂点へ導いた。しかし長山が語る上田の本質は、得点能力だけではない。指導者として細心の注意を払ったのは、むしろ才能を守ることだったという。「守備を頑張りすぎて点が取れないという状況になることは避けよう、と。点を取る作業じゃないところへ、彼の意識が行きすぎないようにしました」。
転機は3年生のコパ・アメリカだった。チリ、ウルグアイ、エクアドルと対戦し、決定機に絡みながらも無得点。だがそれは挫折ではなく、覚醒のきっかけだったと長山は読む。「自分が到達すべきレベルというものが、彼自身のなかで明確になった大会だと思います」。
その後の歩みは、長山が語る「上田のサイクル」そのものだ。鹿島1年目は途中出場が多く結果を出しきれず、フェイエノールト1年目も控えに甘んじた。しかし必ずそこから好転させてきた。そして25-26シーズン、エールディビジでリーグ戦25ゴールの得点王。ロマーリオやロナウドが名を刻んだ系譜に、上田綺世の名が加わった。
「彼は鹿島の育成組織からユースに上がれなかった。その悔しさをバネに、高校、大学で成長してプロになった。鹿島の1年目、フェイエノールトの1年目も苦労した。そこからキャリアを好転させる、というサイクルがあります。W杯でも前回は結果を出せなかったけれど今回は……というのは僕の個人的な感覚としてあります」
上田綺世はいかに挫折を乗り越え、日本代表のエースに上り詰めたのか――本編でさらに深く語られている。
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
