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「プロになるのは、やめた方がいい」医師から突然の宣告…久保建英らと日本代表でも活躍“広島の超速FW”を襲った病魔の正体「正直、まさか…と」
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別府響Hibiki Beppu
photograph by(L)AFLO / (R)Tomosuke Imai
posted2026/06/18 11:02
W杯代表である久保建英や菅原由勢らとともにアンダー世代で長らく活躍した桂陸人。かつての天才FWを苦しめた病とは?
実際には本人の感覚とは裏腹に、周囲の選手からは「お前、スゴいね」と高評価をもらうことも多かった。また、2種登録とはいえ公式戦にも出場するなど、客観的に見ればトップチームのフィールドでも十二分に戦えていた。実際にその年末には高校年代の日本一を決める高円宮杯で背番号10を背負って日本の頂点にも輝いている。だが、当人の違和感は消せなかった。
「やっぱり最初に“保留”とされたので、プライドが傷ついたんですよね。今振り返ってみれば、当時は身体能力頼みでサッカーをやっていた期間も長かったし、スカウトが『トップではまだ難しい』と考えた理由もわかります。でも、当時はずっと世代のトップでやってきて、それを俯瞰して見ることができなかった。試合では活躍しているのに、なんで評価が得られないんだ……って」
あくまで自分の目標はプロになって、日本代表になることだ。そう考えれば、ここにこだわる必要はないんじゃないか。例えば大学に進学して活躍すれば、きっと他のクラブだって自分に注目するに違いない。サンフレッチェ以外の選択肢だって出てくるだろう。桂の中で、そんな考えが徐々に大きくなっていったという。
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「結局、9月には自分からチームに昇格の断りを入れて、大学進学に進路を変更しました」
桂がいま自分のサッカー人生を振り返ってみると、小さな後悔が残るのがこの選択だったという。
「本当なら保留と言われた段階で、『じゃあどうすれば昇格できるの?』という部分をスタッフとちゃんと詰めて、死に物狂いでプロ契約を掴みに行くべきだったんです。なのに想定通りに道が進まなかった中で、楽な方に流れてしまった。
今の実力でそのまま行けば、『大学経由でプロになれるな』と安易に考えてしまったんです。『絶対プロになって活躍する』とか『ワールドカップに行くんだ』とか、そういうビジョンを貫けなかった」
葛藤の末に…選んだ進路は「順天堂大学」
桂が大学進学を決めた高3の9月の段階で、すでに多くの大学では推薦での選抜段階を終えていた。だが桂の実績も相まって、それでも声をかけてくれる大学は多かったという。
結局、桂はその中から「Jリーグのスカウトが必ず試合を見にくるはず」という理由で、関東大学1部リーグ所属(当時)の順天堂大学を選んだ。

