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「やり切って終われていない」男子バレー“大人気エース”がビーチバレーに転向した真相「身体が壊れた状態でした」石島雄介が明かす“その後の苦悩”
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吉田亜衣Ai Yoshida
photograph byToshiya Kondo/Wataru Sato
posted2026/06/12 11:01
男子バレー16年ぶりの五輪出場にも大きく貢献した石島雄介。その後のビーチ転向の真実とは?
成長できる場所を探していた。もう一度、実力で勝負できるフィールドで戦いたいと思った。それが、ビーチバレーだった。
「ビーチバレーは2人なのでシンプルで、実力が重視される競技。白鳥(勝浩)さんがベテランになってもずっとプレーしていたのを客観的に見ていたので。そこはある意味、チャンスだと思いました。転向当初はケガもあって全然動けなかったんですけど、それでも経験を積み重ねて、できなかったプレーもできるようになってビーチに溶け込んでいった自分がいました」
「トヨタがなかったらやらなかった」
2015年にビーチバレーボール部を創部したトヨタ自動車衣浦工場に、石島は2017年に入社した。石島の口から「トヨタがなかったらやらなかった」という本音も飛び出した。そう考えると『石島雄介』という一人のアスリートが生きていくための道を、バレーボールの神様が用意したのかもしれない。
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石島が転向し10年近くが経ち、今ではインドアとビーチのトップレベルを行き来する“二刀流プレーヤー”も誕生した。もし、20代の頃に『二刀流』ができる環境があったら?
「やっているでしょうね。ビーチバレーはブラジルにいた時に少し遊んだ経験があるんですけど、当時は20代前半。砂だろうが床だろうが、関係なくプレーできる感覚はありました。身体がフレッシュなので、同じ土俵の中でスタートできますし、やれる環境があったならぜんぜん余裕で二刀流をやれましたね」
42歳を迎えた地は、これまでのキャリアを逸脱するような新しい環境だった。石島は新天地で、自分と向き合う日々を送っている。《つづく》

