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「やり切って終われていない」男子バレー“大人気エース”がビーチバレーに転向した真相「身体が壊れた状態でした」石島雄介が明かす“その後の苦悩”

posted2026/06/12 11:01

 
「やり切って終われていない」男子バレー“大人気エース”がビーチバレーに転向した真相「身体が壊れた状態でした」石島雄介が明かす“その後の苦悩”<Number Web> photograph by Toshiya Kondo/Wataru Sato

男子バレー16年ぶりの五輪出場にも大きく貢献した石島雄介。その後のビーチ転向の真実とは?

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吉田亜衣

吉田亜衣Ai Yoshida

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Toshiya Kondo/Wataru Sato

愛称“ゴッツ”。42歳になった現在もビーチバレーの世界で戦い続け、今年のアジア大会日本代表内定を決めた石島雄介。今明かされるビーチ転向と、唯一無二のキャリア秘話。《NumberWebインタビュー全3回の2回目/第3回に続く

◆◆◆

 小学生時代の石島雄介は剣道少年だった。中学でも剣道を続けようと思ったが、剣道部はなく、友人に誘われて入ったのはバレーボール部だった。初心者同然、バレーボールの技術が低い石島だったが、恵まれた体格は大きな武器になった。中学3年時には埼玉県代表に選ばれ、全国大会に出場。高校は名門・深谷高、大学は筑波大に進学した。

 石島は大学4年時にすでに海外のプロリーグでプレーすることを夢見ていた。

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「石川(祐希)君が大学時代にイタリアでプレーしていましたけど、僕の時代は大学を卒業してすぐに海外に行く前例はなかったですし、周囲に理解されませんでした。卒業した後は、会社員としてバレーボールをして、そこでうまくいったら海外に行けばいい、という風潮で。すぐにでも海外へ行きたいと希望していた僕と契約してくれたのが、堺ブレイザーズでした。内定選手として05/06Vリーグに出場し、堺ブレイザーズは総合型地域クラブチームとして優勝に輝き、僕は全日本に選出されました。それがひとつの転機でしたね」

海外のプロリーグを志望した理由

「転機」と述べたのには理由がある。当時、石島は2008年の北京五輪にどうしても出場したいと思っていた。だからこそ、誰もが認めるような実績をあげたかった。

 その中で浮上した選択肢の一つが、海外のプロリーグで活躍することだった。

「僕が全日本に入る可能性は低いと思っていました。だからこそ、プロというカタチに挑戦したかったんです。海外で成功したら、1%でも呼んでもらえる可能性が広がるのではないかと。オリンピックに行くためにはどうしたらいいか、というのを逆算して自分なりに考えました」

【次ページ】 「身体が壊れた状態でした」北京五輪後の真実

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