- #1
- #2
プロ野球PRESSBACK NUMBER
「松井秀喜ははっきり言われていると思うよ」長嶋茂雄さん一周忌に中畑清が明かす“教えと約束”「私には、明るく、楽しい監督になりなさい、と」
text by

赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byNumberWeb
posted2026/06/03 11:01
長嶋さんの一周忌にあたり、日本代表監督時代の思い出、さらに松井秀喜氏への思いまで、中畑清氏が秘話を明かした
そのプレッシャーの重みからか、長嶋さんはオリンピックイヤーの2004年3月4日、脳梗塞で倒れた。中畑氏はコーチから後任の監督に昇格して日本代表を率いたが、アテネ五輪では準決勝で敗退。3位の銅メダルにとどまった。
「私では3位までが限界です。あれ以上の結果は残せなかった。長嶋さんが監督だったら、間違いなく金メダルを取っていたでしょう。ミスターはオリンピック日本代表が最後のユニフォームと決めていました。最後までまっとうさせてあげたかったですね」
明るく、楽しい監督になりなさい
2012年、中畑氏はDeNAの監督に就任。リハビリを続けている長嶋さんの下へ報告に出向くと、「よかったなあ」と喜んでくれた。
ADVERTISEMENT
「その時、『明るく、楽しい監督になりなさいよ』と長嶋さんに言われて、よし、そういう監督になろう、と本気で思いました。そういう監督はそれまでいなかったしね。明るく、楽しく監督をやらせてもらったよ。1年目は最下位で、次の年は5位だったけど(笑)」
東京ドームで巨人-DeNA戦があって、長嶋さんが見に来られると、そのたびにすぐ挨拶に行った。そこで『きょう頑張ってジャイアンツに勝ってもいいですか』と聞いたら、長嶋さんは『いや、おまえじゃ勝つのは無理だろう』って言うんだよな(笑)。
でも、DeNAが勝った試合は、最後まで見ていたこともあったそうです。体調面のこともあるから、大体7回ぐらいまででお帰りになるんだけど、私が頑張っている時はずっと見ていてくれたと、関係者の方に聞きました。『きょうはあいつ(中畑氏)が勝ちそうだな』とか言いながら、最後まで見ていたと。
私の監督1年目は最下位で、苦しい戦いが続きました。長嶋さんも巨人監督1年目(1975年)は最下位だったでしょう。だから応援してやろう、勝つ姿を見たいと思ってくれていたんじゃないかな」
「長嶋さんが亡くなったみたいよ」
昨年6月3日、長嶋さんの訃報は自宅で知った。リビングのテレビ画面に速報のテロップが流れ、最初に気づいた娘に「お父さん、長嶋さんが亡くなったみたいよ」と言われて愕然としたという。

