将棋PRESSBACK NUMBER

「“賭け将棋”真剣師とタブーのアマ・プロ戦」「前日まで羽生将棋のゲラを見て羽生戦勝利」将棋世界元編集長が知るウラ話…藤井聡太で一時活況も 

text by

田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

PROFILE

photograph byNoboru Tamaru/Keiji Ishikawa

posted2026/05/03 06:01

「“賭け将棋”真剣師とタブーのアマ・プロ戦」「前日まで羽生将棋のゲラを見て羽生戦勝利」将棋世界元編集長が知るウラ話…藤井聡太で一時活況も<Number Web> photograph by Noboru Tamaru/Keiji Ishikawa

藤井聡太という将棋界きってのスターがいる中で、長年にわたって将棋界を支え続けた専門誌も転機を迎えている

 博文館は軌道に乗ったら、将棋大成会に発行権を委譲するつもりだった。そして『将棋世界』は1940年12月号から、将棋大成会の機関誌となった。

「雑誌を通じて《読む将棋》をお目にかけたい」

 初代編集長の金子八段は発刊の辞でこうも述べている。将棋の歴史、対局室のこぼれ話、読者座談会など、読み物やコラムを充実させた。昔も現代の「観る将」のような読者はいた。なお、表紙画は将棋を愛好した洋画家の梅原龍三郎が描いた。しかし戦争が激化するにつれて、用紙難によって減ページと発行日遅延が常態化した。1945年1月号には16ページに減り、休刊を余儀なくされた。

戦後に確立した“免状取得”初段コース

ADVERTISEMENT

 復刊したのは戦後まもない1946年6月で、発行人は加藤治郎八段。編集の実務を山川次彦四段らが務めた。資金繰りのほかに、紙不足で苦労したが、新聞社や出版社を回って用紙を何とか確保したという。再刊の辞で「誌上を棋士と大衆の交流場とする」と述べた。1947年2月号では玉の囲いの名称を読者に募り「木村美濃」「カニ囲い」「流れ矢倉」などが決まった。その後は社会の復興とともに、『将棋世界』の誌面は少しずつ充実していった。

 同誌の編集長は将棋連盟の出版担当理事の棋士が兼任していたが、1963年4月から連盟職員の太期喬也が務めた。その太期は「初段コース」という企画を立てた。3問の次の一手問題を毎号出題し、読者はハガキで回答する。正解で得た合計点数が規定に達した場合、初段認定証を得られる。さらに希望すれば、初段免状を所定料金で申請できる。

 アマの人が将棋の免状を取得するには、それ以前は原則として棋士の推薦が必要だった。しかし、往復ハガキによる簡易な方法は読者に受け、応募者は激増。雑誌の部数も伸びていった。その後、二段以上のコースに拡充され、現在では六段コースまである。

「闇の真剣師」などとのアマ・プロ戦も

 私こと田丸は1989(平成元)年に将棋連盟理事に就任し、出版部門を担当した。『将棋世界』の過去の実売部数を調べてみると、70年代後半がピークでかなり売れていた。主な要因は次の2点だと考えている。

【次ページ】 前日までゲラで羽生将棋を→羽生戦で勝利

BACK 1 2 3 4 NEXT
#田丸昇
#羽生善治
#大橋進一
#木村義雄
#花田長太郎
#関根金次郎
#土居市太郎
#金子金五郎
#大崎熊雄
#菊池寛
#幸田露伴
#角田喜久雄
#梅原龍三郎
#加藤治郎
#山川次彦
#升田幸三
#大山康晴
#太期喬也
#飯野健二
#小池重明
#中原誠
#米長邦雄
#島朗
#渡辺明
#藤井聡太

ゲームの前後の記事

ページトップ