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佐々木朗希の高校恩師が…“お嬢様学校”「白百合」の監督に就任していた「女子校→共学化」「野球部できた」“あの登板回避騒動”から7年、國保陽平の今 

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柳川悠二

柳川悠二Yuji Yanagawa

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posted2026/04/26 11:00

佐々木朗希の高校恩師が…“お嬢様学校”「白百合」の監督に就任していた「女子校→共学化」「野球部できた」“あの登板回避騒動”から7年、國保陽平の今<Number Web> photograph by Yuji Yanagawa

盛岡白百合学園野球部(岩手)の初代監督に就任した國保陽平(39歳)

「僕自身、最初はサッカー選手になりたくて、次にバスケットボールの選手になりたくて。プロ野球選手になりたいと思ったのはみんなよりも遅くて、野球を始めたのは中学からだったんです。振り返って見ると、『お前には無理だ』と言われるような挑戦をずっと続けてきた人生だった」

國保監督もメジャー目指していた…

 盛岡第一を卒業し、筑波大学に進学した國保は、大学卒業後にアメリカの独立リーグに挑んだ経験を持つ。

「大学卒業後、いきなりメジャーリーガーになりたいと思い立ち、全球団にメールして、いくつかの球団から返信があってなんとか独立リーグに挑戦することができた。筑波大学の川村卓監督からは、『アメリカのスカウトも知っているから手伝うか』と声をかけてもらいましたが、自分の力だけでやりたかったのでお断りしたんです。そして、日本に帰ってきて教員になってからも花巻農業、大船渡、盛岡一と良いチームで指導できた。ただ、『挑戦』という言葉の意味をいろいろと調べると、『失敗の可能性もあるものしか挑戦とは呼ばない』らしいんです。公務員の仕事に何も不満はありませんでしたが、40歳を前に、もう一度、挑戦したい気持ちが勝ったというのが一番の理由です」

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 あのまま盛岡第一に勤務していたら、いずれ監督となっていたかもしれない。母校を指揮することは野球人としてひとつの夢でもあるだろう。だが、盛岡白百合学園の校長である浅沼千明から声をかけられた國保は2025年度より白百合の教師となり、共学化と同時に予定された硬式野球部の創部に立ち上がった。

「県庁所在地とはいえ、地方の小都市である盛岡で、かつ少子化の流れのなかで本当に野球部を創部するのか。男女共学にしても、私が公務員を辞めることにしても、『なぜ?』と思われて当然だと思います。私は体育教師というのは、生徒ひとりひとりの健康寿命を延ばしていくことがひとつの使命だと思っています。体育の授業も好きだし、保健の授業でいろんなエピソードを話してやるのも好きだし、野球も好きだし。ゼロから野球部を立ち上げる。そこにも惹かれたし、僕にとっては新たな挑戦だった」

 北東北・盛岡のいわゆるお嬢様が通ってきた歴史ある学校に、國保は何を期待されて着任したのだろうか。

〈つづく〉

#2に続く
「名門女子校→共学」直後に…野球部に29人も入部、岩手の私立校に“あの有名監督”がやってきた…名門「白百合」になぜ野球部できた? 現地で取材
この連載の一覧を見る(#1〜4)

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