甲子園の風BACK NUMBER
佐々木朗希の高校恩師が…“お嬢様学校”「白百合」の監督に就任していた「女子校→共学化」「野球部できた」“あの登板回避騒動”から7年、國保陽平の今
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柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byYuji Yanagawa
posted2026/04/26 11:00
盛岡白百合学園野球部(岩手)の初代監督に就任した國保陽平(39歳)
「今は笑われたり、“そんなことができるか”と思われたりするかもしれませんが、甲子園を志すことで一歩一歩進んでいく。私は花巻東さんが(2009年春に)準優勝されて、多くの勇気をもらいました。それまでのように、環境を言い訳にして、北東北を言い訳にして、雪を言い訳にして、(甲子園優勝を)諦めている場合じゃないと強い気持ちを持てた。いつかはチャンピオンチームである花巻東さんに勝って、甲子園でも勝つ。そこを目指していきたい」
あれから7年…佐々木朗希はメジャー
船出の日に対戦したのは花巻東のBチームであり、指揮する敵将は監督の佐々木洋ではなく、コーチの川村悠真だった。菊池雄星(現・エンゼルス)と同級生の彼は、國保の挨拶にもあった花巻東が17年前のセンバツ甲子園で準優勝した時の主将でもあった。これもまた野球が結んだ不思議な縁だ。
高校野球ファンなら2019年に大船渡高校の監督だった國保が下したある決断が思い出されるだろう。当時32歳の國保は35年ぶりの甲子園を目前にした夏の岩手大会決勝で、チームの大黒柱であった佐々木朗希の登板を回避させ、4番を任せていた佐々木を打席にも立たせなかった。その理由は、登板が続いた佐々木を故障から守るため。花巻東に敗れた試合後、その判断の是非が大論争に発展した。
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あれから7年の月日が過ぎた。國保は大船渡の監督を2021年に退くと、2023年より母校であり県内一の進学校である盛岡第一に赴任し、硬式野球部の副部長を務めていた。教え子である佐々木はドラフト1位で入団した千葉ロッテを経て昨年春に海を渡り、あの夏の球児たちもそのほとんどが社会人となっている。
「本当にあっという間ですね……」
ウォーミングアップをする教え子たちを眺めながら、およそ2年ぶりに会う國保は騒動からの日々を回想するようにそうつぶやいた。しかしなぜ公務員という安定した職を捨て、私立高校の教員に転身したのか――。間もなくプレイボールだと言うのに、私は國保に対し本題をぶつけた。


