甲子園の風BACK NUMBER
甲子園初出場も…33歳監督の“本音”「部員ギリギリ…増える確証ない」高知農業を現地取材、“地方公立校の今”「部員3人の時代も甲子園目指していた」
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井上幸太Kota Inoue
photograph byJIJI PRESS
posted2026/04/04 11:03
初戦で敗れたが…高知農が甲子園出場を果たした“意味”とは
センバツで着用したユニフォームは新調されたものだったが、普段の試合で着るユニフォームの左袖にある校章が、山本だけ微妙に違う。他の選手は生地に昇華プリントされているが、山本だけは「ワッペン」で張り付けた旧式のものだ。新入部員0人の翌年に入部した、3学年上の兄から譲り受けたユニフォームだ。
強豪の高知高校に行かず…なぜ高知農へ?
中学の途中で腰を痛めて離脱している間に、正捕手をライバルに奪われ、最後は外野を守った。高知高への内部進学が規定路線だったが、県内外から選手が集まり、激しさを増すであろう競争について、逡巡することが増えた。同時に思い起こされたのが、兄の試合の応援に訪れた際に感じ、少年野球チームの先輩だった山下からも聞いた、高知農の野球を楽しむ雰囲気だった。
「学園に残って、高校から入る人らとの競争に勝つんだ、というのは頭にありました。けど、高知県の選手だけのチームでやってみたい思いもあって。兄から下坂先生のこともよく聞いていたし、山下さんとも話して農業でやりたいと思うようになりました」
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山本は山下と同じく三男。長兄が高知商のOBであることも共通している。山下の兄と同じく、山本の長兄もまた、甲子園には縁がなかった。両親は三男に甲子園出場の夢を託し、山本も期待に応えようと、高知中を選んだ。それだけに、予想外の進路変更には様々な思いがあったはずだが、山下家同様、思わぬ形で三男が甲子園出場を叶えた。山本が感慨深そうに言う。
「農業に入って、最初に立てた目標が『県ベスト8』でした。秋にそれが達成できて、次はベスト4を目指そうと思っていたら、甲子園。正直、びっくりしました」
山本に限らず、選手たちにセンバツへの思いや意気込みを聞くと一様に笑みを浮かべ、声を弾ませた。
迎えた甲子園当日…結果は?
一方で、過去の苦労話も赤裸々に、笑顔を交えながら話してくれた下坂は、甲子園の話題となると、表情が引き締まった。21世紀枠として大会に“招かれる”以上、果たすべき役割があるからだ。


