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中日から西武へ電撃トレード移籍「月50万円ぐらい食費に使ってました」前原博之が“34歳で戦力外通告”を受けるまで「星野さんから電話?ないです」
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岡野誠Makoto Okano
photograph byKYODO
posted2026/03/29 11:02
中日、西武でプレーした元プロ野球選手の前原博之
「キャンプで全体練習を終えると、コーチに『帰ってくれ』と言われるんですよ。若い子たちに特打や特守をさせたいので、ベテランが残っていると困るわけです」
中日時代、誰よりも遅くまで練習していた前原は新たな環境に戸惑いを覚えた。移籍1年目、二軍で打率3割を残すも、一軍ではわずか2打席しか与えられなかった。それでも腐らず、ベンチで声を出して明るく振る舞った。試合が終われば毎日のように後輩たちを連れて、食事に繰り出した。
ベテランの宿命「先輩が誘ったら全額払う」
「月50万円ぐらい食費に使っていました。高い店には行かないけど、たくさんの人数になると、自然とお金が嵩みますよね。宮地(克彦)から『知り合いを連れて行っていいですか?』と聞かれたら、『どんどん連れて来い!』と答えてましたよ。みんなで食べたほうが美味しいし、先輩が誘ったら全額払って当然ですからね」
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翌年も翌々年もファームで安定感のある打撃を見せていたが、一度もパ・リーグの舞台に立てなかった。
「球団には毎年、トレード志願をしていました。西武にいても、一軍には行けないですから。移籍4年目の終盤、ようやく上から呼ばれたんですよ。でも、二軍で3割5分くらい打っていて、首位打者を取れるチャンスだったので断りました。次の日、ホームランを2本打ったら、また声を掛けられた。その時は、さすがに『はい』と頷きましたけどね」
戦力外、34歳で社会に出た
99年9月17日のオリックス戦、『6番・DH』で3年ぶりにスタメンに名を連ねる。4試合連続で先発起用されたが、結果は残せず、そのうち3試合で代打を送られた。翌年は一軍に昇格できず、シーズン終盤に戦力外通告を受ける。社会人の昭和コンクリートで野球を続けるが、1年で引退。前原は34歳で一般社会に身を投じなければならなかった。
「急に、全く違う世界に放り投げられた。関連会社の昭和商事に入社できたのですが、何をしていいのかわからず、呆然としました。34歳ですから、会社の同僚は中堅を扱う目で見る。でも、新卒の社員と同じで、何もわからない」
プログラマーを目指した少年が16年ぶりにパソコンを開くと、世界は激変していた。
〈つづく〉


