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野村克也はなぜ“松井秀喜をドラフト指名しなかった”のか? 「史上最高のヤクルト投手」野村が絶賛した伊藤智仁の伝説「わずか3カ月の投球で…新人王」
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太田俊明Toshiaki Ota
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2026/03/26 11:50
わずか3カ月の全盛期にもかかわらず今も語り継がれる伊藤智仁とは
「普通のスライダーはもっとバッターから離れたところから曲がり始める。ところが、伊藤が投げるスライダーはフォークボールのように、バッターの体の近くで急激に変化する。バッターにはボールが視界から突然消えるような感覚があるらしい。だから、これに対処するにはスライダーではなく、フォークボールを打つ感覚で対応しなければならないというのだ」(『プロ野球 最強のエースは誰か?』野村克也/彩図社)。
無名投手がプロに行くまで…
伊藤は、1970年に京都府で生まれ、地元の花園高校に進学したが、甲子園には出場できなかった。最速135キロ程度のストレートと、カーブしかない平凡な投手だったという。卒業後に体格の良さを買われて三菱自動車京都に入社したものの、ここでも最初の2年間は全く通用せず、「出ちゃ打たれみたいな。デビュー戦でも初回8点とられてますから。2年目が終わった時点で140キロ出てなかったですし」(本人談。『勝つ人』武井壮/文藝春秋)。
3年目に、金属バットに対抗するため、バッターの手元で曲げるためのスライダーの習得に試行錯誤する中でストレートが速くなり、コントロールも改善されていったという。腕を速く振るための研究を重ねる過程でタメができてタイミングが合うようになり、それゆえリリースポイントが安定して制球力が増し、スピード、球の回転、キレも上がったのだという。
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1991年、92年と2年連続で都市対抗野球に出場し、ここでの活躍が認められて伊藤は92年のバルセロナ五輪の日本代表に選出された。五輪では、3試合に登板して2勝、18イニングで27の三振を奪って、一躍社会人ナンバーワン投手としてドラフトの目玉になった。結局、この年のドラフトで、伊藤はヤクルト、広島、オリックスから1位指名され、抽選の結果、ヤクルトへの入団が決まった。
松井秀喜と同年にプロ入団
このドラフトに関しては、興味深いエピソードがある。もともと、ヤクルトは1位指名に、この年の高校生の目玉だった星稜高校の松井秀喜を考えていた。しかし、監督の野村が「4番打者なら外国人でカバーできる。しかし、真のエース候補とはめったに出会えない」と強力に伊藤を推してひっくり返した(『プロ野球 最強のエースは誰か』)。
一方、この年のドラフトで、松井は巨人、阪神、中日、ダイエーの4球団から1位指名を受けて、抽選の結果巨人に入団したが、もともと巨人の方針は伊藤の1位指名だったものを、13年ぶりに監督復帰した長嶋茂雄が松井にほれ込んで強引に松井指名に変更したという(時事ドットコム/2009年11月3日)。

