熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「今だから話せる」「すでに結婚。1歳の息子が」20代前半で“8カ月無収入”に「本当にひどい扱いを」妻も同情…Jリーグ最強級ブラジル人MFの引退危機
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沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byMasashi Hara/Getty Images
posted2026/03/12 17:00
アルビレックス新潟を皮切りにJ各クラブで活躍したレオ・シルバ。今は何をしているのだろうか
「クルゼイロで最後にもらっていた給料の半分以下だった。でも、金額は問題じゃない。またプレーできるだけで嬉しかった。この時期があったから、その後、僕は全く異なるキャリアを切り開くことができた。その意味で、非常に貴重な時間だった。
実を言うと、それまでの僕は強豪クラブと契約して悪くない給料をもらえていたことに満足していた。本当に真剣には練習に取り組んでおらず、食事や休養にもあまり気を配らず、典型的な二流、三流の選手だった。でも、所属クラブがない、というピンチに追い込まれて目が覚めた」
4歳年上の妻「あのつらい時期があったからこそ」
当時を振り返って、4歳年上の妻アリアーニさんは「クラブと代理人には、本当にひどい扱いを受けた。でも彼は諦めることなく、毎日、歯を食いしばって練習をしていた。あのつらい時期があったからこそ、その後の飛躍があったのでしょう。彼は、成功に値する努力をしたと思います」と述懐する。そんな彼は、どんな幼少期を過ごして日本にたどり着いたのか。
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――家族構成とフットボールと出会ったいきさつは?
「姉と妹に挟まれた3人きょうだいの真ん中。父親は会社の警備員で、母親は小学校の先生をしていた」
――フットボールを始めたいきさつは?
「父親からフットボールの手ほどきを受け、4歳頃から近所の子供たちと毎日、ストリートでボールを蹴った。そして、7歳のときに地元のフットサルチームに入って15歳まで続けた。僕はフットサルが大好きで、本当はフットサルのプロ選手になりたかったんだ」
――それでも、フットボールに15歳で転向したわけですね。
「当時、所属していたフットサルのチームが、地元のモト・クルーピというプロクラブのフットサルチームと対戦した。その際、関係者に勧誘されて、数カ月後にはフットボールチームでプレーするように言われたんだ」
――フットボールへ転向した理由は?
「中盤でボランチとしてプレーしてみて、守備でも攻撃でも重要な役割を果たすことに喜びを覚えたんだ。ボランチはボールに触る回数が多いし、僕はスタミナがあったから、ボックスからボックスまでカバーできるのが強みだった。当時憧れていたのはセザール・サンパイオ。彼のように、攻守両面でチームに貢献できる選手になりたかった」
――2003年初め、17歳のときにURTという東南部ミナスジェライス州のクラブのU-17へ、そして翌年、同じ州の強豪クルゼイロのU-20に加わります。
「当時の代理人の紹介でテストを受けて合格した。そして、州選手権でクルゼイロと対戦した際のプレーが評価された」
19~20歳で彼女と結婚したんだ
――クルゼイロは、かつてロナウドが若手時代を過ごした名門クラブです。
「だから、僕もこのクラブでプレーできることがとても嬉しかった。一生懸命に練習して、2003年、17歳で最初のプロ契約を結んだ。あの時の嬉しさは、今でも良く覚えている」
――翌年、ブラジルU-19代表に選ばれ、日本へ遠征しています。日本と日本のフットボールの印象は?

