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「フォルティウスは過酷な練習を」“家賃が払えないバイト時代”も…女子カーリング小笠原歩コーチと「お母さんみたい」小林未奈らの信頼関係とは
text by

石川仁美(Number編集部)Hitomi Ishikawa
photograph byTsutomu Kishimoto/JMPA
posted2026/02/24 17:03
苦しい戦いが続いたミラノ・コルティナ五輪カーリング女子フォルティウスだが、小笠原歩はコーチとしてチームを支えていた
「メダルを獲ったときは泣いて喜んでくれて。教え子第1号だと言ってくれたのはすごくうれしかったです」
教え子は、「向いていない」という当人の言葉とは全く違う印象を持っているようだ。
フォルティウスは、21年に北海道銀行との契約が切れて存続の危機に立たされた。それでもチームは解散を選ばずにスポンサーを探し、クラウドファンディングまでして五輪切符にたどり着いた。小笠原は自分たちを信じて前進したチームを「誇り」だと言う。
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「私がフォルティウスを抜けることになった時も『チームを大事にする』と言ってくれましたし、4年前に北京オリンピックを逃した時も、北海道銀行との契約が終わることになった時も、続けるという選択をしてくれて。ここまで続くチームになったというのは嬉しいです」
バイト生活で家賃を払えずに苦労したことも
その言葉に応えるように、残ったメンバーたちは「オリンピックで金メダル」という目標を掲げ、困難がありながらも「フォルティウス」という名前で活動を続けてきた。14年から所属する近江谷杏菜は胸の内をこう明かす。
「小笠原さんと船山さんが中心となって作ってくれた、このチームがなければ今のメンバーはカーリングをできてないわけで。本当に2人には感謝しているし、私もこのチームに関わらせてもらっている一員として、絶対になくさない、繋げていきたい、守りたいと思い続けてきました。小笠原さんには大きな出来事がある度にこの気持ちを伝え続けています」
退団後、外から見守ってきた小笠原も元チームメートたちを信じていた。
「スポンサーを探せる環境にあるというのは前向きなこと。ないものに目を向けるのではなく、前を向いて進んでいけば、いつか道は開けてきますし、サポートも必然的についてくると私は思っていました」
青森時代、小笠原はバイト生活で家賃を払えずに苦労したこともある。スポンサーが見つからない環境を乗り越えてきた選手たちがいたからこそ、カーリングを支援してくれる企業も増え、平昌、北京と二大会連続でメダルを獲得できるまで女子の競技レベルが高まった。
また船山さんと五輪に行けるだなんて
そんな日本カーリング界の礎を作った1人である小笠原にとって、ミラノ・コルティナは14年ソチ以来のオリンピックだった。そのコーチングボックスで隣に座ったのは、23年に選手を退きフォルティウスのコーチに転身した船山だ。小笠原の競技人生は、同じ北見市常呂町出身の船山とともにあった。

