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「だろうな…って感じですね」平野歩夢もリスペクト…スノーボード・國母和宏が明かした16年前「反省してま~す」事件の真相「えーって思うほどバカじゃない」―2026上半期読まれた記事
posted2026/05/16 11:01
2010年のバンクーバー五輪で服装を巡ってバッシングを受けたスノーボードの國母和宏。喧騒の渦中で本人は何を思っていたのだろうか?
text by

中村計Kei Nakamura
photograph by
JIJI PRESS
2026年の期間内(対象:2026年1月~4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。ミラノ五輪部門の第2位は、こちら!(初公開日 2026年2月14日/肩書などはすべて当時)。
時計の針を2010年のバンクーバー冬季五輪まで戻す。
國母和宏は当時21歳だった。2月12日に開会式を控えたハーフパイプチームは、その3日前、バンクーバーへ出発。そのときの姿がワイドショーで放送され、物議を醸した。レゲエミュージシャンを思わせるドレッドヘアに、大ぶりなサングラスをかけた國母は日本チームの公式スーツを独特の「着崩し」で決めていた。腰でパンツをはき、シャツはパンツの外に出しネクタイも緩めていた。
引率したのは当時ハーフパイプチームのコーチだった綿谷直樹である。
「騒ぎになっていると聞いて、最初、何でなのかまったく分かりませんでした」
この感覚を理解するには2つのことを踏まえておく必要がある。まずはスノーボードの世界ではもともと大きめのズボンを腰ではくファッションがカッコいいとされていた。國母もこう言う。
「葬式に行くときに葬式の恰好をするように、スノーボードの大会に行くからスノーボードに行くための恰好をしてただけで。もう、あのときから滑ることに集中してて、スーツをびしっと着ることで、そのイメージが揺らいだりするのが嫌だった。あそこから俺のすべてのルーティーンは始まってるというか」
「まだ世間に浸透していなかった」スノーボードの文化
國母のスノーボード仲間で17歳上の石川健二はこう補足する。
「カルチャーが、まだ世間に浸透していなかった。あれはスノーボードにどっぷり浸かってきた人の表現。僕も、簡単に言っちゃうと『カッコいい』と思った」
もう1つは國母への絶対的な信頼感だ。綿谷が言う。
「代表合宿のとき、僕は少しでも選手を自分の目で見たくて、普通より多くの選手を呼んでいたんです。そのせいもあって、僕が少し見きれていないところがあった。そうしたらある日彼が僕の部屋にきて、『全員を公平にちゃんと見てください』って言ったんです。20歳そこそこで、そんなことを大人に言える選手なんて、そういないですよ。彼ほどスノーボードにすべてをかけている選手はほかにいませんでしたしね」

