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アントニオ猪木が愛した熊本“伝説のビアホール”「猪木さんは優しかった」91歳マスターの追憶…死去の前に“2度の電話”「ああ、間違っちゃった」 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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posted2026/02/20 11:03

アントニオ猪木が愛した熊本“伝説のビアホール”「猪木さんは優しかった」91歳マスターの追憶…死去の前に“2度の電話”「ああ、間違っちゃった」<Number Web> photograph by Essei Hara

アントニオ猪木のブロンズ像を手に微笑む熊本市「ビア・ホールMAN」の村田善則マスター(91歳)

 やがて村田は長崎から熊本にやってきた。

「親父はまだ若いときに熊本で亡くなりました。いい親父でした。血圧が高いから、戦地では注射針を自分で入れて血を抜いていた、と。あの頃の親父との思い出が、大きくなって私がビールとかかわるようになったきっかけです」

「マスター、強いですねえ」猪木との飲み比べ

「最初はスタンドバーだったので、客同士のケンカが絶えなかった。だが、ここに移ってからは和気あいあいで、乾杯を繰り返し、みんなが楽しく飲めるようになった。私がお客さんから元気をもらえるようになったんです」

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 ビア・ホールMANは現在の場所が3軒目で、ここで42年前から営業している。

 店に集う客はみんな友達のように親しげだ。この日、居合わせた女性はこんなことを話してくれた。

「マスターはやさしいですよ。来ると元気がもらえる気がします。ここの所、マスターに会えないので、心配で、今日はキムチを家に届けに行ったんです。私の家は近いんですが、店に来るようになったのは2年前、それからなぜか1週間に一度は来てしまう」

 厨房では名物の「馬力焼」がいい音を立てている。「スペアリブ」はアントンリブを思い出させる。鍋を振る澤田志朗さんは33年前にアルバイトに来たのが縁で、ずっとマスターのそばにいる。以前、猪木つながりで紹介した東京・初台のそば店「かわしま」の主人、川嶌博幸さんの中学の後輩だという。猪木の母親・文子さんは熊本・人吉の出身だし、思いがけない糸に驚いた。

 猪木が最初に店に来た日のことをマスターははっきりと覚えている。

「おい、酒は強いべやって言ったら、(猪木が)『僕は強くありません』って。そしたら、ガバガバ飲んでね」

「ちょっと待て、1杯飲んだらオレも飲む、と私が飲むと、『マスターは体は小さいけれど強いですねえ』となってそれから死ぬまでの付き合い。『ああ、マスター、間違っちゃった』という電話が2回あってから死んだんです。猪木さんは優しかった。来ると一番奥の席でカストロ議長にもらったという葉巻を吸っていました。そこに後楽園ホールの駐車場で最後に会った時の写真あります。会おうかと言われて、待ってますって、待っていた。オレの前だからってね、杖をつかんで、わざわざ車から降りて歩いてきてくれたんです。いい男やった。あそこにあるのが一緒に撮った最後の写真、死ぬ2年前。長い付き合いです。私も、猪木さんもAB型、力道山もそうでした」

 ビア・ホールMANのロゴは力道山をモチーフにマスターがデザインしたものだ。

【次ページ】 棚橋弘至も来店「マスター、僕とタッグ組みましょう」

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