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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「ヤクルトには負け犬根性が沁みついている」広岡達朗は“お荷物球団”をどう変えたのか? 名参謀が繰り返した「巨人よりお前たちが上」若松勉の証言
text by

長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2026/01/28 17:21
ヤクルトのバッテリーコーチに就任した森昌彦(現・祇晶)と握手する松園尚巳オーナー、そして広岡達朗。1977年11月21日、新橋のヤクルト本社で
荒川監督時代の1976年には一番を打つことも多かった若松は、広岡監督時代には三番に固定されていた。打席の中での考え方は大きく変わった。
「ノーアウトでセカンドランナーがいるときには、“絶対にランナーをサードに進ませよう”という意識が強くなりました。チャンスのときには、狙い球を絞って、センター返しを心がけました。それまでのように、“ただがむしゃらに打てばいい”という考えは完全になくなりました。それは広岡さんが監督になってからの大きな変化でした」
チームは着実に白星を重ねていき、自分の成績も向上していく。勝利の喜びを知った若松は、「チームのために」の思いでますます貪欲になっていく。
名参謀が繰り返した「巨人より、お前たちの方が上」
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しかし、この結果に対して広岡はまったく満足していなかった。
なぜなら、1位の読売ジャイアンツとは、実に15ゲームもの大差をつけられていたからである。しかも、両チームの対戦成績は7勝19敗、借金は12もあった。これでは、「球団史上初の2位」も霞んで見えた。
「少しずつチームとしての形は整ってきたけれど、まだまだジャイアンツに対する苦手意識は払拭できていなかった。私にはまだまだやるべきことがあった。まだまだ選手たちの意識を変える必要があった」
広岡が語るように、就任3年目となる1978年は「ジャイアンツコンプレックスの払拭」を徹底する必要があった。そこで広岡が画策したのが、前章で述べたようにアメリカ・ユマキャンプの実現と、森昌彦(現・祇晶)の招聘である。
若松は、チームが変わっていった大きな要因の一つとして、やはり「ジャイアンツコンプレックスの払拭」を挙げる。
「広岡さんが監督になって3年目の1978年に、初めてアメリカでキャンプをしました。そして、森さんがコーチとしてヤクルト入りしました。森さんはいつも、“巨人より、お前たちの方が上だよ”とか、“巨人に引けを取るな、負けるな”と、選手ミーティングで言っていました。それはすごくよく覚えていますね」

