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広岡達朗にマニエルが激怒「ベンチで大暴れ」そのとき広岡が言った“意外な言葉”「自尊心を傷つけてしまったことは謝る。だが…」あえて貫いた“厳しさ” 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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posted2026/01/28 17:20

広岡達朗にマニエルが激怒「ベンチで大暴れ」そのとき広岡が言った“意外な言葉”「自尊心を傷つけてしまったことは謝る。だが…」あえて貫いた“厳しさ”<Number Web> photograph by JIJI PRESS

ヤクルト、近鉄で活躍し、「赤鬼」と恐れられたチャーリー・マニエル。のちにフィリーズの監督としてワールドシリーズを制した

 これは初めてのことだった。どんなに噛み合わないやり取りを続けていたとしても、人名を出せば、これまではそれなりに会話が成立していた。しかし、ロジャーに関しては何度尋ねてみても、「そんな外国人は知らない」「いや、そんなはずはない」という押し問答が続いた。ライオンズ時代の登録名は「レポーズ」だった。だから「ロジャー」「レポーズ」で質問をしても要領を得ないやり取りが続いた。

「そんな外国人はいたかな? ヒルトンのことではなくて?」

 1978年に入団したデーブ・ヒルトンのことはよく記憶していたものの、ロジャーについてはまったく記憶に残っていないようだった。こんなことは初めてだった。

「ヒロオカは私のことが嫌いだったはずだよ」

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「ヒロオカはまだ元気なのか? もう90を過ぎているはずだろう? きっと彼は150歳まで生きるはずだよ」

 ロジャー・レポーズとコンタクトが取れた。

 以前、太平洋クラブとクラウンライター時代のライオンズをテーマにした『極貧球団 波瀾の福岡ライオンズ』(日刊スポーツ出版社)を上梓した際に、間に立ってくれたアメリカ在住の関係者がいた。彼に尽力してもらい、再び話を聞くことができた。ロジャーは80代を迎え、重い肺炎を患っており、「メールでのやり取りなら構わない」と取材に応じてくれることになった。広岡時代のことを尋ねると、彼は開口一番、こんなことを述べている。

「ヒロオカは私のことが嫌いだったはずだよ」

 コメントは以下のように続く。

「1976年、私は36本のホームランを打った。けれども、翌年のスプリングキャンプ、オープン戦では満足な出場機会を与えてもらえなかった。ヒロオカ本人にも尋ねたけど、その理由を彼は答えなかった。おそらく、前年オフに年俸アップを要求したことが気に入らなかったのではないか? 結局、私はその年、22本のホームランを打った。機会を与えられていればもっと打てたと思うけれど、この年限りで解雇された」

 間に立ってくれた関係者の話によれば、「ロジャーはヒロオカのことを、監督としても人間としても嫌っているようだった」という。「広岡はあなたのことをまったく記憶していなかった」と伝えなくてよかった。改めて、そんな思いだった。

続く

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#2に続く
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