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広岡達朗にマニエルが激怒「ベンチで大暴れ」そのとき広岡が言った“意外な言葉”「自尊心を傷つけてしまったことは謝る。だが…」あえて貫いた“厳しさ” 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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posted2026/01/28 17:20

広岡達朗にマニエルが激怒「ベンチで大暴れ」そのとき広岡が言った“意外な言葉”「自尊心を傷つけてしまったことは謝る。だが…」あえて貫いた“厳しさ”<Number Web> photograph by JIJI PRESS

ヤクルト、近鉄で活躍し、「赤鬼」と恐れられたチャーリー・マニエル。のちにフィリーズの監督としてワールドシリーズを制した

「自尊心を傷つけてしまったことは謝る。だが…」

 ところが、広岡の一連の行動はマニエルを激怒させた。この一件は、大矢明彦も明確に記憶していた。

「後楽園球場で、マニエルが途中で代えられたことがあったんです。ベンチの近くにファウルボールから身を守るための金網があるんですけど、それを引っこ抜いちゃうんじゃないかというぐらい怒っていたことがありましたよ」

 この件について、広岡が続ける。

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「……ベンチに戻るや否や、マニエルが大暴れをしている。メジャーリーガーのプライドを傷つけてしまったのだから、彼の行動も理解できる。だから試合後、私はマニエルを呼んで事情を説明した。何の説明もなく交代を決めたことは申し訳ない。自尊心を傷つけてしまったことも謝る。けれども、これからもあのような守備を続けるのであれば、私はもう君を使わない。そう言ってやったんだ」

 広岡によれば、「真っ赤な顔をして怒りをこらえていたマニエルが、多少の冷静さを取り戻したように見えた」という。マニエルと広岡のやり取りが続く。

「オレはどうすればいいんだ?」

「簡単なことだ、一生懸命ボールを追えばいい。そうすればこれからも使う」

「わかった。これからはきちんと練習をする。一生懸命にボールも追う。だから明日も試合に出してほしい」

 広岡がこのときのことを振り返る。

「それからだよ、彼の態度が変わったのは。相変わらずライトの守備は見ていられなかったけれども、彼なりに一生懸命ボールを追うようになった。私からすればまだまだ納得のいくレベルではなかった。それでも、以前よりはずっとよくなった」

 日本野球への順応性に優れていたマニエルは、1年目はホームラン11本に終わったものの、翌1977年には42本を記録する。広岡の厳しさがマニエルのやる気を促し、成績向上を引き出したのである。

 一方、前任者である荒川博監督時代に太平洋クラブライオンズから獲得したロジャー・レポーズに対して、広岡はマニエル以上の厳しさを見せている。1977年オープン戦において、出場機会を剥奪したのである。ロジャーについて尋ねると、意外な答えが返ってきた。

「ロジャー? 覚えていない。そんな選手はいたかな?」

【次ページ】 「ヒロオカは私のことが嫌いだったはずだよ」

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