- #1
- #2
バレーボールPRESSBACK NUMBER
「僕はポンコツだったので…」宮浦健人を成長させた“もう一人の西田”「彼の背中を追いかけてよかった」鎮西高校の厳しかったキャプテンに今も感謝する理由
text by

米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph bySankei Shimbun
posted2026/01/06 06:01
当時高校2年生の宮浦健人が「大きな影響を受けた」と明かすのが、鎮西高校でキャプテンを務めた西田寛基(上)だった
西田寛基にその言葉を伝えると、「本当ですか? 嬉しいですね」と照れくさそうに笑った。「怖かった」という高校時代の印象も伝えると、苦笑しながらこう回想した。
「僕が2年で、健人が1年だった時の春高は、1回戦負けで終わったんです。その日の夜、宮迫さん(竜司コーチ、現監督)に、『お前が変えるんだぞ!』と言われて。次はキャプテンになることが決まっていたんですけど、『キャプテンは嫌われてなんぼの世界だから』みたいな感じで言われたので、そこで覚悟を決めて、責任をまっとうしようと。なんとしても畑野(久雄)先生を胴上げするために、嫌われる覚悟でその1年はやりました。嫌われ役なんて嫌でしたよ。でも当時は『俺がやるしかないな』と思って。
キャプテンとして人に言う立場だったので、自分が人よりやらないと示しがつかないし、説得力がない。自分としては、勝つために、うまくなるために必要だと思うことをとにかくやって、それを見て下がついてきてくれればいいなと。とにかく練習に対する意識を変えたくて、『こんなんじゃ勝てないよ!』と一人一人に言って、意識を高めようとしていました。僕の同期には竹下(優希)がいたし、2年には健人、1年には(鍬田)憲伸(サントリー)がいて、これで勝たないとダメでしょという代だったので、僕も気合いが入っていました」
ADVERTISEMENT
ただ、西田に言わせれば、当時からすでに宮浦は練習の虫だった。
「愛されキャラだし、いじられキャラだし」
「もともとうまくなりたいという向上心が人よりあって、バレーへの向き合い方がすごかった。高校時代は毎朝、誰よりも早く来てトレーニングをして、全体練習の後も欠かさず自主練をして、その後トレーニング。一日もサボっているのを見たことがない。ストレッチも入念にやっていましたし、継続力が本当にすごいなと。それで僕も少なからず影響は受けていました。下がそれだけやっているから、自分もそれ以上やらなきゃいけないなと。
健人も、1年の春高で1回戦負けして、そこから変わったんじゃないかなと。やっぱり悔しかったと思うので。いざ全国に出てみたら通用しないというのがわかって、姿勢がガラッと変わったように感じた。シャイな部分は変わらなかったですけどね。愛されキャラだし、いじられキャラだし(笑)」


