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蛍光灯で殴り合い、大流血して…メキシコ人デスマッチファイター「もっと日本にいたい」ビオレント・ジャックの切実な思い「外国人がって…でも、ここがオレの家」
posted2025/12/14 17:21
プロレスリングFREEDOMSの現シングル王者、ビオレント・ジャック
text by

橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Norihiro Hashimoto
「ハクシュ(拍手)シロ!」
傷だらけの大男が技を決めてそう叫ぶと、観客がどっと沸く。メキシコ人レスラーのビオレント・ジャックが繰り出す“つかみ”のフレーズだ。
プロレスリングFREEDOMSの現シングル王者であり、世界トップクラスのデスマッチファイターは、2018年から日本に住んでいる。日本人女性と結婚して娘も生まれた。今では試合後のコメントや取材陣とのやり取りもすべて日本語。このインタビューもそうだ。
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「子供の頃からルチャ(・リブレ。メキシコのプロレス)が大好きで、12歳の頃にはライブの試合を見に行ってた。同じ頃にジムにも通い始めて」
ジムとはレスリングスクールのこと。日本ではプロレス団体に入門するのがレスラーへの道として一般的だが、メキシコでは会費を払ってスクールで学び、ライセンスを取得する。
「血が出るだけじゃなくモノを壊すのが…」
凶器の使用が認められるデスマッチ、ハードコアマッチに魅了されたのもこの頃だ。
「ルチャにも血がたくさん出る試合はあったけど、ラダー(ハシゴ)とかテーブルを使うハードコアはビックリした。血が出るだけじゃなくモノを壊すのが、音楽のパンクみたいなバイオレンスな感じで」
デスマッチの映像を見まくった。VHSが多かったそうだ。日本のデスマッチ・レジェンドである松永光弘の試合を特集したソフトもあった。
「ピラニアデスマッチとかね。凄かった。日本のデスマッチはスタジアムで(大会を)やってるのもビックリした」
スクールでの練習は、最初は土曜日だけ、ティーンエイジャーだけの「イージーな練習」だった。半年後にプロのトレーニングに加わる。週3回、2時間ずつの練習を2年ほど重ねて「2004年、15歳くらいで」デビューを果たす。
生まれ故郷の地方会場からスタートし、17歳になると試合も増えていった。ただ当時のジャックは学生だった。
「そのうち大学にも行って、サイコロジー(心理学)の勉強をして。学校が終わって、そろそろプロレスをやめて何か仕事を探さなきゃって」

