濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
蛍光灯で殴り合い、大流血して…メキシコ人デスマッチファイター「もっと日本にいたい」ビオレント・ジャックの切実な思い「外国人がって…でも、ここがオレの家」
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橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2025/12/14 17:21
プロレスリングFREEDOMSの現シングル王者、ビオレント・ジャック
「葛西純と対戦」日本からのオファーに驚いた
そんな時に、日本からのオファーが来た。2012年のこと。FREEDOMSでの“デスマッチのカリスマ”葛西純との対戦だ。葛西や伊東竜二、アブドーラ・小林といった、日本で松永に続く世代のデスマッチファイターも海外で人気があったから、とにかく驚いた。しばらくは半信半疑だったそうだ。FREEDOMSとしては、マッチメイクに新鮮味をもたらすための人選だった。
「メキシコで大きいオファーがキャンセルになったことが何回もあったから。日本で試合するのは夢みたいで“本当かな?”って。パスポート取ってビザ取っても、まだ信じてなかった(笑)」
日本での試合が本当なのだと思えたのは、飛行機に乗ってからだった。東京に着くと記者会見があり、対戦相手もマスコミもいて、やっと事態が飲み込めてきたという。
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「日本で試合して一番驚いたのは、葛西サンが入場した時のお客さんの葛西コール。凄かった。メキシコでいったらエル・サントとかミスティコのレベル」
サントもミスティコも、ルチャの歴史に残る偉大なスター選手だ。それほどの熱狂と尊敬を、日本ではデスマッチファイターが集めている。
初来日で驚いたこと
“メキシコの怪獣”というキャッチフレーズは、日本語が分かる知り合いにつけてもらった。
「メキシコでは“エル・モンストロ・デル・ハードコア”。ハードコア・モンスターだったけど、日本語の“カイジュウ”がカッコよかった。最初は怪獣がゴジラとかウルトラマンに出てくる大きなモンスターのこととは知らなかったけど」
カイジュウという言葉は、メキシコ人映画監督ギレルモ・デル・トロの『パシフィック・リム』でメキシコでも知られるようになったそうだ。ジャックが怪獣を名乗ったのは、その少し前だった。
ちなみにビオレント・ジャックというリングネームは自分で考えた。ジャック・エル・ビオレントから語呂を変えたもので、往年の名デスマッチファイターであるカクタス・ジャックが好きだったことも由来の一つだ。日本に来てみたら『バイオレンスジャック』という漫画があると知って、また驚いた。
もう一つ、初来日の際に驚いたことがある。大会後に売店でのグッズ販売とサイン会を終えて控室に戻ると、写真撮影があるという。むき出しの売り上げをしまってからと思ったのだが、スタッフは「そのままで大丈夫だよ」。他の国では考えられないことだった。


