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大学受験に2度失敗…落胆の「普通のサッカー少年」がなぜ“アメフトでオールアメリカ”に?「競技開始は20歳から」“The Tokyo Toe”松澤寛政とは何者か?
posted2025/12/11 18:50
日本で初めてアメリカンフットボールのキッカーとしてオールアメリカのファーストチームに選ばれたハワイ大の松澤寛政
text by

NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Naoki Kitagawa
2024年のシーズン。松澤寛政は、ついに思い描いてきた夢のスタートラインに立った。
NCAA1部のハワイ大学に加入して2年目。レッドシャツからレギュラーに昇格した松澤は、フィールドゴールを12回、タッチダウン後のトライフォーポイントを32回決め、チームに確かな貢献を果たした。
当初は奨学金のない形での入部だったが、昨年の功績を認められ、来季からは「フルスカラシップ」の受給も決まった。
20歳でNFL選手を夢見たのは…普通のサッカー少年
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幼少からサッカーに親しんできた松澤は、高校最後の千葉県大会のベスト8で敗れると、その実力面で「プロサッカー選手」という夢が現実的ではないことに気づきはじめていた。追い打ちをかけるように大学受験にも2度失敗し、人生の目標を見失っていた。
「大学もサッカーも上手くいかなくて。何をすればいいのか全く分からなくなりました」
2018年のある日、みかねた父親が「日本の外で起きていることを、自分の目で見てきなさい」とだけ言い、米国への往復チケットをくれた。これが松澤の人生のターニングポイントとなる。旅の途中、サンフランシスコでNFLの開幕戦を観戦し、松澤は人生の夢を見つける。
「この迫力、観客の一体感……すぐにコレだなと思いました。向こうのフットボールは、エンタメとしてもビジネスとしても成立しています。日本では考えられない盛り上がりがあって、それを肌で感じました。――そこで、自分もNFL選手になりたいなと」
帰国後、松澤は人生で初めて楕円形のボールを買い、近所の公園でひたすらボールを蹴り込んだ。アメリカの大学でプレーするため、アルバイトで資金を貯め、YouTubeでNFLやカレッジのトップキッカーの動画を見て独学で技術を磨いた。
「日本人でNFLに行った人がいない中で、誰かに否定されたり、強制されたりすることは嫌だったので、自分の力を信じてやろうと思いました」
自主練のビデオを撮り、SNSを通してコミュニティカレッジのコーチにアプローチし、オハイオにある「ホッキングカレッジ」へと渡った松澤。この20歳で初めて楕円球に触れた「普通のサッカー少年」は、なぜ全米トップレベルにまでたどり着いたのか――その軌跡は、本編で明らかになる。
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
