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「日本国籍取得は言語の壁が」岡田ジャパン招集熱望も断念・名ブラジル人FWが語る真相…今は何を?「フロンターレユニに似せているよ(笑)」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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posted2025/12/12 11:03

「日本国籍取得は言語の壁が」岡田ジャパン招集熱望も断念・名ブラジル人FWが語る真相…今は何を?「フロンターレユニに似せているよ(笑)」<Number Web> photograph by Hiroaki Sawada

48歳となったジュニーニョと10歳の三男ダニエル。その明るさは今も変わらなかった

「大変な名誉であり、感激した。僕の頑張りがクラブだけでなくリーグからも認められて、本当に嬉しかった」

――日本で対戦して苦しめられたCBや、高く評価するMFとFWは?

「強靭でスピードもある中澤佑二と闘志に溢れた松田直樹の横浜F・マリノスのコンビは、対戦していて嫌だった。日本には優れたMFが大勢いたが、僕の中ではケンゴがナンバーワン。FWは、小柄だけど抜け目がない大久保嘉人が好きだったな。彼は、僕が退団した後のフロンターレで活躍したしね」

日本国籍取得をあきらめた日

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――2008年3月、日本の生活環境の良さや子供たちへの教育を挙げ、日本国籍を取得する意思があると報じられた。その時の真相は?

「代理人から、『日本へ来て5年が経過し、日本国籍を取得できる条件が整いつつある』と聞いて、乗り気になった。家族共々、日本が大好きだったし、日本国籍を取得できたら日本代表に選ばれる可能性がある。2010年W杯に出場できるかもしれない……そう考えると、とても興奮した」

――当時の日本代表の岡田武史監督もあなたの日本国籍取得を切望している、と伝えられた。

「そういう報道があったのは知っている。でも、日本国籍を取るには日本語のかなり難しい試験をパスしなければならない。最終的に、言葉の問題で、日本国籍取得は断念せざるをえなかった」

――その後、ブラジルでは?

「2015年に地元の小クラブからオファーを受けて州選手権などでプレーした後、2017年2月、39歳で現役を引退した」

――自分のキャリアを振り返るとともに、日本での11年間で得たことは?

「ブラジル北東部で生まれ育ち、幼い頃からプロ選手を夢見てひたすらボールを蹴ってきた。実際にプロ選手になり、パルメイラスというビッグクラブでプレーした後、日本へ渡って素晴らしいキャリアを築くことができた。自分が予想していた以上のキャリアを送ることができたと思う。

 選手として成長したばかりでなく、規律、他人を敬うことなど、人間として非常に大切なことを学んだ。そして、大勢の人に愛情を注いでもらった。これらは、僕の人生の宝物となっている」

ブラジルでいま、何をしている?

――30年余りのJリーグの歴史の中で、あなたは日本人、外国人を問わず、関係者とファンから最も愛された選手の一人だと思います。

【次ページ】 フロンターレユニに少し似せさせてもらった(笑)

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