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「僕は9人兄弟なんだ」25歳でFW転向してシーズン54発…“コワモテ点取り屋”ブラジル人は「日本のこと何も知らなかった」ではなぜJリーグに?
text by

沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTamon Matsuzono
posted2025/11/16 11:01
名古屋グランパス時代のウェズレイ
「この頃、ロマーリオ、エジムンド、サビオらが在籍していた。後ろから彼らのプレーを眺めていて、世界トップレベルのストライカーの凄さに驚愕した」
――ロマーリオとエジムンドは、ブラジルでも名うてのバッドボーイ。気難しくはなかったですか?
「いや、そんなことは全くなかった。きちんと練習し、我々若手を励ましてくれた。この時に彼らトップ選手と触れ合えたことは、僕にとって極めて貴重な経験となった」
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――1996年前半はクルゼイロで、後半は名門サンパウロへ。ただサンパウロでは出場機会が少なく、1997年はブラジル北東部へ戻ってヴィトリアでプレーします。
「クルゼイロでは絶対的なレギュラーで、このプレーが認められてサンパウロへ移籍した。でも、ボランチ以外にSB、CB、MFもやる便利屋的存在だった。ヴィトリアはバイーアのライバルクラブだからチームメイトやファンの反応が心配だったが、実際にはとても温かく迎えてもらえた。良いプレーができ、州選手権で優勝した」
25歳の時に…FW転向したんだ
――このときもまだボランチだったのですか?
「少し前めのボランチをやっていた。キックのうまさが評価され、CK、FKなどすべてのセットプレーのキッカーを任されていた」
――日本でも、CFでありながらすべてのセットプレーを蹴っていましたね。これは非常に珍しい。
「そうなんだ。あれは、ボランチ時代の名残なんだよ(笑)」
――そして、1998年に古巣バイーアへ戻ります。
「すでに25歳だったんだけど、この時、ボランチからFWへコンバートされた。それまではいつもゴールから遠い場所でプレーしていたから、あまり点を取っていなかった。でも、当時の監督が『君はスタミナがあり、体も強く、キックも上手いから点も取れるはずだ。前線でゴールを狙い、敵ボールになったらすぐに戻ってきて守備をしてくれ』と言われたんだ」
――それは、過酷なミッションですね。どう答えたのですか?
「あまり気が進まなかったけれど、監督の指示だから『やってみましょう』と答えた。すると、最初の試合でまさかのハットトリックさ(笑)。我々は4−1で大勝し、チームメイト、クラブ関係者、ファンの誰もが大喜び。僕も、この時初めて点を取る喜びを知った」
シーズン54発…ブラジルで最も得点を取ったんだ
――この年の州選手権で23ゴールを決めて得点王を獲得し、MVPにも選出された。大爆発ですね。突如、驚異のストライカーが誕生した!
「そういうことになるのかな(笑)。チーム練習の後でシュートの特訓を行ない、マーカーの外し方、スペースへの走り込み方、ポストプレーのやり方などFWとしての初歩から学んでいった」
――当時、目標にしたストライカーは?

