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リングでの大量出血にレフェリーが「バケツ3杯までなら大丈夫」…デビュー40周年の“暴走女王”が振り返る「本当にあった」衝撃の全女伝説
text by

“Show”大谷泰顕“Show”Yasuyuki Ohtani
photograph byShiro Miyake
posted2025/11/08 11:00
今年でデビュー40周年を迎えた堀田祐美子。全盛期の全女をはじめ女子プロレス界を生き抜いてきたレジェンドの記憶に残るエピソードとは?
「力まかせだから、(技が)痛いんだよ」「お前、鈍くさいんだよ」
普段の練習でも、顔を合わせれば理不尽に怒られる日々。この頃の先輩からのしごきのひとつに“百発投げ”と呼ばれるメニューがあった。
これは同期や先輩たちから代わる代わる10回ずつ、連続で好きなように文字通り100回投げられ続けるというものだった。
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「それが10回や20回なら練習の一環だろうけど、100回となると……もう限界への挑戦みたいなもので。相手は順番で投げるから休めるけど、受け続ける方は黙々とやられ続けるしかない。だからヘトヘトになる」
さまざまな先輩から様々な技を100回、受け続ける。相手に急かされて「早く起きろ!」「何やってるんだ!」「声出せ!」と罵倒され続ける。
「その時は途中で一気にチアノーゼのような状態になってしまって、私の顔色が青ざめてしまって。流石にまずいと思ったのか、90回で止められちゃった」
あと10回で終わるのだ。ここまでやった以上、なんとか完遂したい思いもあった。
「最後までやらせてくださいって言ったんだけど……」
堀田はそう苦笑する。
また、この頃は極真空手の故・山崎照朝を指南役に、国内外の合宿も実施されていた。
合宿の最終日に行われる股割りでは、堀田のみならず多くの選手が泣き叫んで、半ば失神状態になるほどに追い込まれた。脚の筋が切れる選手も続出したという。
病院は「弱いヤツの行く所」…全女の“暗黙の了解”
それでも「病院なんて弱いヤツの行く場所」というとんでもない暗黙の了解が支配するのが当時の“全女”だった。そんな状態でも、もちろんおいそれと病院に行くことすらできなかった。40年前の“全女”がいかに異常な環境だったかがよくわかるエピソードだ。
そういった過酷な環境がファンも含めて全女への熱狂を生んでいたのかもしれないが、堀田によればこういったエピソードは枚挙にいとまがないという。
<次回へつづく>

