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「優勝は2005年が最後って、おかしいやろ」岡田彰布は“勝てない阪神”をどう変えたのか?「よくもまあ、こんな状態で…」2年目にあった“最大の後悔”
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内匠宏幸Hiroyuki Takumi
photograph byNanae Suzuki
posted2025/11/08 17:01
2023年、阪神を38年ぶりの日本一に導いた岡田彰布。名将はチームに何を残したのか
たまたま佐藤輝だったが、その悔いはチーム全体の未熟さから感じたものだった。試合に負け、ここから巨人が走り、阪神は失速していった。
進塁打のサインを出さなくても、選手はどうすべきかを理解している……と信じていた。その力は1年前から伸びていたはず。それがそうではなかった。だから「1年前はうまく行き過ぎたということや」とし、これからの伸びしろはまだまだある、と岡田はユニホームを脱いだ今、考えている。
「球児は残すべき」球団に訴えた過去
11月に入り、球団と契約した。「オーナー付顧問」という立場についた。これからは自由な立ち位置で、アドバイスを送ることになる。その先には新監督の藤川球児がいる。岡田は選手をあだ名や名前では呼ばないが、藤川は例外だ。「球児」と呼ぶのは、2人の関係性を示すものである。
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2003年のオフ、退陣を表明した星野仙一から「次はお前が監督や」と指名を受けた時、藤川がチーム構想から外れていることを知った。トレード要員になっている。それを岡田は食い止めた。球団に球児は残すべきと訴えた。もしそれがなかったら、JFKも生まれていなかったし、火の玉のクローザーも誕生していなかったことになる。
2人にはそんな縁がある。岡田には後継者を育てるという使命があったが、コーチとして帝王学を、とはならなかったものの、藤川はふさわしい後継といえる。
11月、高知県安芸での秋季キャンプに岡田は向かった。グラウンドに姿を現すとファンから大きな拍手と歓声が――。強いタイガースを築いてくれたことへの労いの声が舞った。
「おーん」「そんなんお前」「そらそうよ」と独特の岡田語でファンの心をつかんだ67歳は最後、こう言い残している。
「監督になったんやから、自分が思う通りにやればいい」と。リーグ優勝2度、日本一に1度。球団最多勝監督の名将は、勝負の世界をようやく離れ、穏やかに新監督を見つめていた。
<前編とあわせてお読みください>
岡田彰布Akinobu Okada
1957年11月25日生、大阪府出身。早大を経て'80年、ドラフト1位で阪神入団。'85年日本一に貢献。'95年現役引退。'04年阪神監督就任。'10年からオリックス監督を3季務め、'23年阪神監督に復帰。38年ぶりの日本一に導く。'24年監督を退任、オーナー付顧問に就任。

