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「試合中に卵巣が破裂して…」全女の元人気アイドルレスラーを襲った悲劇「生理も45歳でとまった」立野記代が救急車の中で伝えた“引退宣言”
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伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)Takuya Sugiyama、R)東京スポーツ新聞社
posted2025/11/06 11:01
全女時代は「女子プロ界の聖子ちゃん」と呼ばれた元プロレスラーの立野記代さん
もし3年前に手術を受けていたら…
――もし3年前に手術を受けていたら、ここまでにならなかった可能性はあるんですかね?
立野 してたらねぇ、どうなってたのかな。病院が違うんでね、それは聞いてない。これまでのどんな技よりも、骨折よりも、卵巣破裂がいちばん痛かったよ。普通に歩くのもつらかったんで。生理痛はないけど、お腹が重くて、常にお腹を支えながら歩いてる感じなので、寝返りひとつ打てないしね。横になっても、起き上がらせてもらわないと動けないぐらい、痛かった。
――どんなプロレスの技の痛みよりもとなると、われわれ常人では想像できない域ですね。
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立野 大好きなごはんも何日も食べられず。同じ病室の人が食べてるのを見て、私も食べたいなぁとか思いながら、においだけ嗅ぐ、みたいな(笑)。
――お食事も禁止なんですか?
立野 もしかして、ほかの内臓にも傷がついてたらっていうことで、様子を見ないといけなくて。(自分は)太っちょさんだったんで、エコーがきれいに映らないんで。
救急車の中でハーレー斉藤に伝えた“引退宣言”
――それで引退を決意するんですよね。
立野 2回目の救急車のときには、ハーレーが付き添ってくれてたんだけど、「さいちゃん、明日も巡業だけれども、私はこのまま入院になると思うから、『やめる』って会社に伝えといて」って言った。それまでにもいろんな人にいっぱい迷惑かけちゃってたから、3回目はもうないなと思って。ほんとは(引退を)自分の口で伝えなきゃいけないんだろうけど、入院・手術になると会えないから。でも、早急に伝えておいたほうがいいと思ったので。
――そういう幕引きに、後悔はなかったですか。
立野 ない。すごくあきらめがついた。
――いまは痛みから解放された生活を送れていますか。
立野 解放はされました。卵巣がないから、生理も45歳のときにとまったし。もっと早くやっとけばよかったなぁって思った。
――立野さんは10年に2度目の引退をしましたが、くしくもその年ですよね。今度は斉藤さんの病気が発覚したのは……。
(撮影=杉山拓也)

