格闘技PRESSBACK NUMBER
「試合中に卵巣が破裂して…」全女の元人気アイドルレスラーを襲った悲劇「生理も45歳でとまった」立野記代が救急車の中で伝えた“引退宣言”
text by

伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)Takuya Sugiyama、R)東京スポーツ新聞社
posted2025/11/06 11:01
全女時代は「女子プロ界の聖子ちゃん」と呼ばれた元プロレスラーの立野記代さん
「子どもをつくりたいなら、最後の年です」
――二足のわらじをはいていた8年後、通算30年の選手生活に幕を下ろしました。ドクターストップでした。
立野 もともと子宮系が弱かったみたいで、不正出血がひどくてね。アメリカに遠征してるときは、半年間も出血しっぱなしで、出血が強いと「あー、いま生理中なんだな」って。国からナプキンを配布してほしいって思ってたよ。
――そんな状態でも、プロレスはできるんですか。
ADVERTISEMENT
立野 できます。リングに上がると忘れるんで。試合が終わった途端に、お腹が痛いってなるけど。2時間に1回トイレに行かないと、血の海になるぐらいひどかったんで。生理痛はひどくはなかったけど、ただ出血が止まらないから、婦人科に通ってて、いろいろ調べてもらってたのね。40歳のときに、「子どもをつくりたいなら、いまが最後の年です」って言われたの。当時は彼氏がいなかったから、(子どもが)いなくてもいいって思ってたけど、「できない」って言われたら急に欲しくなって……。「いまが(妊娠できる)最後のチャンスで、子どもをあきらめるなら全摘出」って言われたんだけど、もしかしたらまだチャンスはあるかもしれないって、自分に都合のいいように考えて、取らずにいたのね。
試合中に卵巣が破裂「ドクターストップです」
――手術はしなかったと。
立野 そう。そしたら、2年後の42歳のときに忘れもしない、神戸の試合中に卵巣が破裂した。一瞬で、動けなくなったの。そのまま救急車で運ばれて、「緊急手術だ」って言われたんだけれども、私の5分前に緊急手術が入ってしまったから、「ここではできない」って言われて、病院からまた看護師さんに付き添われて、隣の病院まで救急車で移動した。すごい痛みはあったけども、神戸で手術したらそのまま入院しなきゃいけなくなって、その後がいろいろ大変になるから、「とりあえず東京に戻りたい」って言って、次の日に戻らせてもらって入院。すっごいお腹のなかで出血してるんだけど、外に出てこないんですよ。(痛みが)治まると元の位置に自然に収まるから、結局、治療という治療はしてないんですよね。
――良くも悪くも、手術する前に治癒されたんですね。
立野 治ったんだけれども、3年後の45歳のときにまた破裂して、「これは繰り返されます。ドクターストップです」って言われた。こんなに痛いのを2回も経験して、3回目はもう嫌だと思ったし、がん以外はチョコレート嚢胞(のうほう)に子宮内膜症、筋腫を持ってたので、あー、もう(潮時だと思った)。今度は手術する方向でいて、卵巣と子宮を全摘(出)するはずだったけど、お腹を開けてみたら、子宮と腸が癒着しててはがせないから、卵巣だけを取って、子宮は残った。そこを取るとしたら人工肛門になるんだけど、その話は先生とできてなかったから。「ウインナーの薄い皮1枚ぐらいで、内臓のなかは薄いんだよ。はがすことができなかったから」って、先生に言われた。

