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高校では「無名の内野手」がなぜ大学で「156キロ右腕」に変貌? ドラフト会議で衝撃の1位指名…花園大“史上初のプロ野球選手”21歳「異色の履歴書」 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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posted2025/10/24 17:29

高校では「無名の内野手」がなぜ大学で「156キロ右腕」に変貌? ドラフト会議で衝撃の1位指名…花園大“史上初のプロ野球選手”21歳「異色の履歴書」<Number Web> photograph by Fumi Sawai

楽天から1位指名を受けた花園大の藤原聡大。同大からは初のプロ野球選手となった

 出身は三重県伊賀市。水口(滋賀)へは電車と自転車を乗り継いで毎日1時間以上かけて通学していた。

 1年生時は遊撃手だったが、2年生になってから投手も兼任するようになった。いわゆる“二刀流”選手だったが、その潜在能力をいち早く見抜いたのが、1998年の夏の甲子園で京都成章の監督として準優勝の経験がある花園大・奥本保昭監督だった。

「2年生の時はショートで動きがよくて身体のバネの良さを感じました。3年生の春になってから県大会を見に行ったら投手をやっていて、140キロ台のボールを投げていたんです。バッティングもいいですし、センスの高さを感じました。ショートもできて速い球を投げる投手。今宮健太(ソフトバンク)選手のような印象を受けました」

「野球は高校まで」のつもりだったが…?

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 3年春の県大会の2回戦・玉川戦では、14奪三振で完封勝利を挙げるなど投手としての頭角を現し、その能力に惚れ込んだ奥本監督。

 藤原は奥本監督の誘いを受け花園大に進むことになったが、実は奥本監督から声を掛けられていなければ野球は高校までで断念するつもりだったという。

 そして花園大の新1年生による練習参加で、指揮官はいきなり度肝を抜かれることになる。

<次回へつづく>

#2に続く
「目標は160キロ」高校最後の夏は初戦敗戦…無名の大学からドラフト1位指名 156キロ右腕・藤原聡大“覚醒のワケ”「筋肉を知ると、自分を知ることが…」

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#藤原聡大
#花園大学
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