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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「悪いこと考えるよな(笑)」“全日本吸収”未遂はまさかの結末に…蝶野正洋が今明かす「新日本プロレス選手大量離脱事件」とは何だったのか?
text by

堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2025/10/11 17:01
“黒のカリスマ”蝶野正洋が今明かす、選手大量離脱事件のウラ側とは?
「あと2年で引退しようとしていた」蝶野だったが…
そんな時に起きたのが、新日本の2002年2・1札幌大会で蝶野がリングに呼び寄せたアントニオ猪木が、中西学、永田裕志、鈴木健三、棚橋弘至に「オメエは怒ってるか!」と一人ずつ問いかけた通称「猪木問答」だった。
「武藤さんたちの離脱っていうのは、俺にとって本当に寝耳に水。全日本との話に永島のオヤジがいつの間にか外されていて、元子さんと武藤さんの間で話がついていたなんて、俺はまったく知らなかった。
そもそも俺は当時、あと2年で引退しようとしていたんだよ。99年に長期欠場から復帰したんだけど、首の状態は依然悪いままで、試合をするたびにいつ壊れるかわからない状態だったから、2004年ぐらいにケジメをつけようと考えていた時にあれが起こっちゃったんだよね」
長州離脱の1年前「実権を失ってたんだよ」
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蝶野は、武藤一派離脱後の「猪木問答」により新日本の現場監督に指名され、その3カ月後の5月には、今度は長州力が新日本を退団。永島勝司とともに配下の選手を引き連れ、WJプロレスを旗揚げすることとなる。この一連の事象が起こった背景を蝶野は最近、ようやくわかったという。
「長州さんが離脱する1年前の新日本株主総会の時に、その後、武藤さんと一緒に全日本に行くナベちゃん(渡辺秀幸)とか、比較的若い世代の中心社員が内部の世代交代をはかって、猪木さんに懇願したんだよね。それを猪木さんが承諾したことで、マッチメイク委員会というものができて、長州さんやマサ(斎藤)さん、永島のオヤジたち、のちにWJプロレスに行く人たちは新日本内で実権を失ってたんだよ。だから2001年のG1とかは、長州さんやマサさんは会場に来なくなってたからね。
ところが長州さんや永島のオヤジが外れたとなると、ナベちゃんたち世代の社員が直接、オーナーである猪木さんと対峙しなきゃならなくなった。でも、猪木さんの考えと若い社員の考えっていうのはまったく相容れないから、自分たちのやりたいことができなくて、結局武藤さんたちと一緒に中心社員も全日本に移籍するということが起こったんだ」

