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「じゃあお前なんかいらん」半年後、阪神・星野仙一監督に手渡された高級腕時計…「辛かったですね」“逆指名ドラ1”藤田太陽のヒジは限界だった
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySankei Shimbun
posted2025/08/30 11:02
完封勝利を収めた藤田太陽を出迎える星野仙一監督
2003年秋、阪神は星野監督のもとで18年ぶりのリーグ優勝を果たした。リハビリ中だった藤田さんは歓喜の瞬間をテレビで見た。
「ああ、阪神が優勝したんだな、って。自分も同じユニフォームを着ているけれど、感覚としてはタイガースの一員とは思えなかった。実はビールかけにも呼ばれたんですよ。前半に何試合か出ていたので。でも、恥ずかしくて行けないです。チームメートが帽子に僕の背番号を書いてくれたりして、それは本当にありがたかったけれど、やっぱり心は虚しかったです」
矢野燿大の言葉で、目が覚めた
プロ4年目の2004年には心機一転、登録名を「太陽」に変えた。4月に初めて投球を再開してから1年間をリハビリに費やし、翌2005年春にはオープン戦で復帰登板。そして4月6日の広島戦でその時はやってきた。苦しみながらも広島打線を5回6安打2失点に抑えて復活の白星を挙げた。
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「勝利投手の権利がかかっている5回に、疲労がたまってきて少し弱気になった。ピンチを迎えた場面でバッテリーを組んでいた矢野(燿大)さんがマウンドに来て、声をかけてくれたんです。『お前、今までどんな苦労して嫌な思いもして、何百日とやってきたんだ。打たれる、打たれないじゃなく、気持ち込めて投げてこい!』って。そこで目が覚めました。もう全部、自分の思いを出し切って投げて、勝てた。あれは本当に嬉しかった。本当にそこまで長かったですから」
728日ぶりの勝利。ウイニングボールを手にした右腕は、人目を憚らず涙を流した。
苦しんだ日々が報われた1勝。しかし翌シーズン、藤田さんを待っていたのは、高い壁だった。
「どこにも入る隙がない。ああ、自分はこうして終わっていくんだ……」
思わずそう呟いた、チーム状況とは――。〈つづく〉

