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「じゃあお前なんかいらん」半年後、阪神・星野仙一監督に手渡された高級腕時計…「辛かったですね」“逆指名ドラ1”藤田太陽のヒジは限界だった 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph bySankei Shimbun

posted2025/08/30 11:02

「じゃあお前なんかいらん」半年後、阪神・星野仙一監督に手渡された高級腕時計…「辛かったですね」“逆指名ドラ1”藤田太陽のヒジは限界だった<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

完封勝利を収めた藤田太陽を出迎える星野仙一監督

初勝利の日…藤田は星野の監督室に呼び出された

 出会いにも恵まれた。当時の投手コーチだった佐藤義則氏は、右肘痛を抱える藤田さんに寄り添いながら辛抱強く成長を促してくれた。

「肘に痛み止めの注射を打ちながら、という状態でしたが、(佐藤)ヨシさんには本当に助けられたし、投げるチャンスをもらった。多分、僕の知らないところで星野監督との間にも立って、我慢して使い続けてくれたのだと思います」

 2002年9月3日。広島戦に先発した藤田さんは、待望のプロ初勝利を挙げた。9回2失点、堂々の完投勝利。後日、星野監督から監督室に呼び付けられた。なにを怒られるのかと身を固くして部屋に入ると、差し出されたのは小さな箱。「祝 初勝利」、「S.HOSHINO」そう刻印の入った高級腕時計だった。

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「これからも頑張れよ、と言って渡してくださった。あの時計は今も大事に使っています。星野監督はグラウンドでは厳しかったですけど、一歩外に出れば本当に優しい方だった。星野監督なりのコミュニケーションで、自信を失くしていた自分を奮い立たせてくれたと思います」

テレビで見た阪神優勝は「虚しかった」

 プロ3年目の2003年。キャンプから投げ続け、開幕ローテーション入りを勝ち取ったが、5月に入ると爆弾を抱えていた右肘が限界を迎えた。全国各地の病院をまわって検査を受けた末に、手術を決断。アメリカ行きを直訴して球団を説得し、トミー・ジョン手術の世界的権威であるロサンゼルスの「カーラン・ジョーブ・クリニック」でメスを入れることになった。

「ピッチャーにとって肩肘にメスを入れるのは自分の心臓を預けるのと同じ。同じ状態から復活した桑田(真澄)さんの姿を見て憧れていたので、どうしてもアメリカで手術を受けたかったんです。成績も残していないのに生意気だったと自分でも思いますが、でも、そこだけはこだわりたかった」

 米国時間の6月27日、右肘手術。アリゾナの施設で1カ月間過ごして帰国し、そこからは長いリハビリが始まった。

「辛かったですね。肘が痛くてやることがないから、ずっと走っているだけの“陸上部”ですから。チャンスを潰してしまった自分に対しての怒りや失望もあって、野球なんて無理だと何回も思った。帰国後にエレベーターの中で星野監督にお会いしたら『お前誰や』って言われて(笑)。まあそうなるわな、と。星野さん流の愛のムチというか、早くあがってこいよっていう意味だったと思います」

【次ページ】 矢野燿大の言葉で、目が覚めた

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