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「祖母が沖縄出身、ミドルネームは“泰斗”」女子バスケ日本代表HCコーリー・ゲインズ(60歳)ってどんな人? 運命を変えた“クレイジーな青春時代”
posted2025/08/22 11:05
現役時代はNBAでプレーしたバスケットボール女子日本代表HCのコーリー・ゲインズ(1990年撮影)。右の写真は昨年、河村勇輝の視察に訪れた際のもの
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宮地陽子Yoko Miyaji
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NBAE via Getty Images,Yoko Miyaji
女子バスケットボール日本代表ヘッドコーチのコーリー・ゲインズは、日本との縁が深い人だ。祖母が沖縄出身の日系3世。“ヤスト(泰斗)”というミドルネームも持っている。ちなみに、彼だけでなく娘や2人の孫も日本名を持っている。それぐらい、一家は日系人であることを大事にしてきた。
ロサンゼルス近郊で育ち、高校の頃には日系人のクラブチームでもプレーしたほか、よく地元の日系スーパーマーケットにも行ったという。その後、現Wリーグ理事の高橋雅弘に勧誘されて、97-98シーズンにJBL時代のジャパンエナジーで選手としてプレー。また、コーチになってからは、ABAロングビーチ・ジャムで田臥勇太、WNBAフェニックス・マーキュリーで大神雄子、NBAワシントン・ウィザーズのアシスタントコーチ時代には八村塁もコーチしている。日本代表との関わりも長く、パリ五輪までの3年間、男子代表のアソシエイトヘッドコーチとして旧友のトム・ホーバスを支えたほか、マーキュリーのヘッドコーチ時代には女子日本代表をフェニックスに迎え入れて、練習試合をしたこともあった。
「バスケットボールを嫌いになった」
ゲインズが人生のなかで学んできたことのひとつが、「ピンチはチャンス」ということだ。苦境は時として新しい道を切り拓くきっかけとなる。
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彼にとって、人生の分かれ目は大学のときに訪れた。高校時代には全米からトップガードの1人と評価され、高校卒業前の1983年には、全米から選抜されたオールスター選手のひとりとしてマクドナルド・オールアメリカンゲームにも出場した。そして高校卒業後、地元ロサンゼルスの名門大、UCLAに進学した。
しかし同学年でルームメイト、後にNBAでスーパースターとなるレジー・ミラーが2年、3年と学年が上がるにつれてチームのなかでの大きな役割を担うようになり、3年目には平均25.9点をあげる活躍を見せたのに対して、ゲインズは控えガードという立場から変わることがなかった。
3年目が始まる前にヘッドコーチが交代となり、ゲインズが高校時代に入っていたAAUチーム(クラブチーム)のヘッドコーチだったウォルト・ハザードが新ヘッドコーチとなった。「これで自分も大きな役割をもらえる」と喜んだのもつかの間、ハザードは彼の出身地でもあるフィラデルフィア出身のプー・リチャードソン(後にNBAで10年活躍するポイントガード)をリクルート。結局、リチャードソンがスターティング・ポイントガードとなり、ゲインズの出番は減っていった。
期待しただけに、ゲインズの落ち込みは激しかった。
「バスケットボールを嫌いになったほどでした」
実際、その後の出会いがなければ、バスケットボールを続けることもなく、銀行員になっていただろうとさえ言う。その出会いのきっかけを作ったのが、リチャードソンだったのだから、運命とはわからないものだ。

