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「お前のエラーで負けたら殺すからな」甲子園常連校で上級生の暴力が日常的に…“消えた名門公立校”沖縄水産「監獄のような寮生活」80年代の真実
posted2025/08/12 11:00
名将・栽弘義のもと、夏の甲子園で2度の準優勝を果たした沖縄水産高校。かつては「ヤンキー高校」として恐れられていた
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Takarin Matsunaga
「沖水行きのバスとは反対方向でよかったぁと胸をなで下ろしましたね。もし一緒のバスだったらどうなっていたことか(笑)」
かつて「ヤンキー高校」として恐れられた沖縄水産高校。当時、知念高校に通っており、のちに沖縄水産で野球部監督を務めた新垣隆夫はそう振り返る。40年以上前、沖縄水産は誰もが震え上がる不良の巣窟だった。飲酒、喫煙は当たり前。卒業式には校門前に黒塗りのベンツが並び、卒業生が任侠界へとデビューしていく——そんな都市伝説が流布されるほどだった。
上級生の恫喝「てめえら、舐めてると殺すぞ!」
そんな荒れた学校を、名将・栽弘義が全国有数の強豪校へと変貌させた。栽は沖縄水産に転任後、自らブルドーザーを運転してグラウンドを作り、全県から有望選手を集めた。その結果、春3回、夏9回の甲子園出場、2度の準優勝という輝かしい成績を残すことになる。
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しかし、その栄光の裏には過酷な現実もあった。寮生活はしばしば「監獄」に喩えられるほど厳しいものだった。
「わかってんだろうな。てめえら、舐めてると殺すぞ!」
上級生は挨拶代わりに寮の部屋で1年生を正座させ、ロッカーからコマンドナイフを取り出して床に刺すことも。入部して1週間はひたすら殴られる通過儀礼があり、試合前には「お前のエラーで負けたら殺すからな」と下級生を恫喝するのが日常だったとOBは証言する。
栽自身も容赦ない指導で知られていた。選手を発奮させる意図で「馬は育てりゃ駿馬になるが、牛は育てたって馬にはならんのだよ。おまえたちは弱い。最悪のチームだ」と厳しい言葉を投げかけた。
こうした強烈な上下関係と精神的プレッシャーの中で、沖縄水産は全国レベルの強豪校として台頭していく。しかし1998年夏を最後に、甲子園から遠ざかって27年。かつての「沖水」の栄光は、なぜ失われていったのか。
その衰退と苦闘の理由は、本編でさらに深く描かれている。
<続く>
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
